正法をひろむることは必ず智人によるべし。
ということばで始まる御書。大聖人は55歳。
金吾は主君江馬氏から越後に行くよう命じられて、どうしたらいいですかと大聖人に聞いた、その返事。
前半は正法を広める人はかなり仏法に精通した知者でないといけないと書かれている。
そして智者を経済的、物質的に支える旦那の存在についても書かれている。
釈迦の時代は僧侶たち、出家者たちが智人といわれ、旦那は王侯や富豪たちであった。
鎌倉時代の智人は大聖人であり、旦那は一般の人々である。
御本尊も御書も世俗の人々を対象に表されている。
最後に主の江馬氏に次のように返事をしなさいと、詳しく書かれている。
講義では:
社会にある大聖人の信徒の、信仰と社会に対する根本的な心構えであると。