御書大好き!!

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御義口伝 普門品 第三 全776頁  新1080頁

第三 「念々勿生疑(もつしょうぎ)(念々に疑いを生ずることなかれ)」の事


  御義口伝に云わく、「念々」とは、一つの念は(地獄から天界までの)六凡であり、もう一つの念は(声聞より仏界にいたる)四聖である。【この文の意は、観音の功力すなわち妙法の功徳は偏頗なものではなく)六凡四聖の(一切衆生の)利益を施すのである。疑う心を起こしてはならない。
  また云わく、「念々」とは、前念・後念(すなわち因果俱時の一念)である。

また云わく、妙法を念ずる上で、疑いを起こしてもならない。また三世常住(永遠)の「念々」である。

このゆえに、上の文に「是故衆生念(この故に衆生は念ず)」とあるのである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えて、「念々勿生疑」の信心に住すべきであり、煩悩即菩提・生死即涅槃は疑いないのである。

 

<講義より>

一念の問題について、種々の立場から説かれている。

まず、六凡四聖の文は十界三千の一切衆生に通ずる一念ということ、

前念後念とは一瞬の生命の因果の理法であり、因果俱時をあらわしている。言い換えると、行躰即信心ということである。信じてはいるけれど題目を唱えない、折伏を行じないというのも、実践はしているけれど心では信じていないというのも、念念勿生疑の信心に住しているとはいえない。心で信じ、身で実践したときに、行躰即信心となり、即身成仏の理をあらわすことができるのである。三世常住の念念とは永遠の生命を確信し「在在諸仏土常与師俱生」の御金言を心に刻んで、水の流れるごとく、信心に励みゆくことである。瞬間瞬間の、微塵も御本尊を疑わない信心が、即永遠の崩れざる幸福へと通ずるのである。(御義口伝講義591頁)