2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
如是我聞とは「是くの如きを我聞きき」とも、「是くの如く、我、聞けり」とも読む。 あらゆる経典の冒頭に必ずこの一句がある。釈迦は自分では著作はしなかったゆえに釈迦入滅後弟子たちが50年にわたる釈迦の説法を思い出し、これを後世に伝えようとして仏典…
大聖人55歳の時のお手紙です。成仏用心抄とも呼ばれています。 講義の中では境智の二法に関する情報が多くて難しい内容でした。天台大師の法華玄義にある説明が難しいのでここのところの講義はパスしました。 されば境と云うは万法の体を云い、智と云うは自…
曾谷法蓮日礼に与えられたお手紙。 曾谷教信の法名が法蓮。 「父子成仏抄」ともいう。 亡き父の13回忌にあたって大聖人にご供養と諷誦を送ったことに対して、種々ご教示された大事な法門が書かれたお手紙。比較的長いお手紙なので講義では17章に分けて説明さ…
爾前経では女は成仏できないと言われてきた。 どんだけ汚い命なんかと思うくらい嫌われてきた。 ドンダケ~という具体的な話も書きたいけどめんどくさいので略します。 法華経提婆達多品で8歳の竜女が即身成仏したことで、末法のわれら女性も成仏できるので…
仏滅後仏を恋い慕う弟子たちは仏の像を木彫りや石彫り、絵画などにして仏があたかもそこにいるかのようにしたかったのかもしれない。仏の特徴を三十二相として表すが、三十一相までは見ることができるが、三十二相は梵音声(ぼんのうじょう)と言って、書く…
1277年6月 四条金吾が江馬氏からの下し文に対して、大聖人に報告したところ、大聖人が自ら筆を執って金吾の冤罪を訴えられた書状である。 京都から来た竜象房が偉そうな態度で聴衆をたぼらかし、でたらめな説法をしていたので、大聖人門下の三位房が完膚なき…