御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2020-01-01から1年間の記事一覧

明衣書 妙法比丘尼御前御返事 1419頁 60歳御作 32巻

妙法尼と呼ばれる人は4人いたようですが、このお手紙を頂いたのは駿河の岡宮に住んでいた妙法尼とされています。 冒頭に「明衣(ゆかたびら)一ついただきました。」とあるので別名を「明衣書」と言われます。 講義は4章に分かれてあります。 1⃣ 迫害に動ぜ…

亡夫追悼御書 妙法比丘尼御返事 1406頁 57歳御作 32巻

御返事は御書で13頁と長いので(「御書を読む」からの)要約と私はここだけは線を引いてあったという最後の箇所を御書をわかりやすくして載せたいと思います。 妙法尼からの手紙にあった兄嫁から帷(かたびら)をご供養されたことと、尾張次郎兵衛の死去した…

臨終一大事 妙法尼御前御返事 1404頁 57歳御作 32巻

32巻にあります。 講義内容は 1⃣ 臨終の大事を明かす(1404頁初~1404頁12行) 2⃣ 白色の相の果報を推す(1404頁13行~1404頁16行) 3⃣ 法理の上から題目の功徳を述べる(1404頁16行~1405頁8行) 4⃣ 妙法による成仏の確かな事を明かす(1405頁8行~終) 弘…

新池御書 1439頁 59歳御作

今年(2020年)2月11日から読んだ御書ですが、ブログに書くのが年末になってしまいました。新池御書も大好きな御書の一つで早く拝読しようと思っていたのです。 「うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人、そもそも人…

法華経随自意事 新池殿御消息 1435頁 58歳御作

新池御書について書こうと思ったのですが、御書ではこちらが先にありましたので、この御消息について書こうと思います。 静岡県袋井市新池(当時は遠江磐田郡新池)に住む新池左衛門尉が、亡くなった一子の追善供養のために供養したことに対するご返事です。…

乙御前母御書 1222頁  新版1684頁

大聖人が佐渡で書かれたものです。求道心で佐渡まで来た乙御前の母を、色んな求道の例をあげて、ほめられています。短い御手紙ですので、現代語訳で載せます。 乙御前の母 今は法華経を慕われて仏になるべき女人である。返す返す筆不精のものであるが、たび…

身軽法重抄 乙御前御消息 1218頁 54歳御作

宛名は乙御前になっていますが、乙御前の母(おそらく日妙聖人)に与えられたお手紙です。建治元年(1275年)八月四日、身延で著されました。 初めに中国への仏教伝来の例を引きながら、内道(仏教)と外道の勝劣を明かし、内典にも勝劣・浅深があり、特に法…

日妙聖人御書 1213頁 51歳御作

文永九年五月二十五日、鎌倉から佐渡まで大聖人を訪ねてきた女性に与えられた御書です。頼るべきもののいない寡婦の身で、幼子を連れて、野を行き山越え盗賊や、どんな野獣が出てくるかわからない道を行き、勇気があるだけではなかなか行けない長旅をしてき…

星名五郎太郎殿御返事 1296頁 46歳御作

上総国に住んでいたとされる星名五郎太郎は上総国の興津の領主佐久兵庫亮の家臣といわれていますが、明らかではありません。文永元年の秋に大聖人が安房国片海に帰られたとき、主君の佐久間氏と共に信徒となったようです。その前は真言に帰依していて、大聖…

大学三郎殿御書 全1203頁 新1648頁

建治元年(1275年)7月2日、大聖人が54歳のとき、身延で著され鎌倉の大学三郎に与えられた御消息です。「権実違目」 初めに外道・小乗・法相・華厳・真言の各宗が十界のいずれまでを明かしているかを示され、華厳・真言の二宗は十界を立てているが、ともに…

破良寛等御書 1289頁 (55歳御作)

前後が欠けているのでその内容から建治二年(1276年)十二月、日蓮大聖人が五十五歳のときに身延で著され、安房国天津の好日房に与えられた御消息と推定されています。 初めに釈尊在世に三逆罪を犯した提婆達多と比較して、今法華経迹門の円頓の戒壇を軽…

月水御書  全1199頁   新1642頁 43歳御作

月水とは(生理・月経)のことだろうと女性ならピンときますよね。 とても面白い内容だなと思いました。大聖人のお手紙が面白いというのではなく、また不真面目というのでもなく、大事な、どちらかというと難しい内容の御書ですが、娘と一緒にちょっと笑ってし…

顕仏未来記 509頁 文永10年5月

カレンダーの裏に書いた日蓮大聖人の年表の一部です。 顕仏未来記は佐渡で書かれました。たまに年表が空で書けるといいなと思います。 なかなか頭に残らんので、繰り返し書いてみようと思います。 顕仏未来記は佐渡流罪中に一谷(いちのさわ)で著されました。…

八幡抄 四条金吾許御文 1195頁 59歳御作

弘安三年十二月十六日に金吾の女房、日眼女に書かれたお手紙です。内容が四条金吾の女房だけに書かれたものではないので、四条金吾許(もと)御文の「許」とは「・・・のもとに」とか、「・・・のそばに」と言う意味です。本抄は立正安国論(p.17)、諫暁八幡抄(…

八日御書 四条金吾殿御返事 1198頁 61歳御作

講義:日蓮大聖人が入滅される年の正月にしたためられた御手紙で、宛名は「人人御返事」となっている、おそらく鎌倉在住の信者の人達が1月8日に集まって、正月の祝いをする旨を四条金吾が大聖人に申し上げたのであろう。これは四条金吾の正月のご供養に対する…

聖人御難事 (出世の本懐御書)  1189頁 58歳御作

日蓮大聖人の出世の本懐について書かれた唯一の御書。建長5年の立宗宣言より27年で出世の本懐を遂げると書かれています。弘安2年10月12日に本門戒壇の大御本尊を顕されたのに対して、この御書は10月1日にしたためられています。当時日興上人を中心として弟子…

日眼女造立釈迦仏供養事 1187頁 58歳御作

四条金吾さんの奥さんが日限女です。37歳の厄年の厄払いのために釈迦仏像を造立して大聖人に供養したようです。ほんとはあかんのです。謗法です。でも、大聖人が日限女の悪気のない真心からのご供養に対して大きな気持ちで受け取られてほめられているお手紙…

石虎将軍御書 四条金吾殿御返事 1185頁 57歳御作

今月二十二日・信濃より贈られ候いし物の日記・銭三貫文・白米能米俵一・餅五十枚・酒大筒一・小筒一・串柿五把・柘榴十、 夫れ王は民を食(じき)とし民は王を食(じき)とす【さて国王は民に依って立ち、民は国王に依って立つのである。】 衣は寒温をふせ…

所領書 四条金吾殿御返事 1183頁 57歳御作

四条金吾が主君から旧領の三倍もの新しい領地を賜ったと報告したことに対する御返事です。 御書: 御所領・上より給わらせ給いて候なる事まこととも覚へず候・夢かとあまりに不思議に覚へ候、御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候、 通解:御所領を…

源遠長流御書 四条金吾殿御返事 1180頁 57歳御作

この題号の元となったところは1180頁3行目です。 「根深ければ枝栄え、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根浅く流れ近く、法華経は根深く源遠し、末代悪世までも尽きることなく栄え、流布していくと天台大師は言われている。」 ※「根と源」は諸仏の智…

二病抄 中務左衛門尉殿御返事 1178頁 57歳御作

およそ人には二種類の病気があり、一つには身(肉体)の病(やまい)、いわゆる地大百一・水大百一・火大百一・風大百一・以上の四百四病がある。これらの病は治水(じすい)・流水(るすい)・耆婆(ぎば)・中国古代の名医と言われた偏鵲(へんじゃく)等…

陰徳陽報御書 1178頁 (新版御書1612頁)57歳御作

四条金吾に与えられたお手紙です。 このお手紙は全部で12枚あったようですが、前の方の9枚は散失し、残った3枚が京都の妙覚寺に1枚、妙顕寺に2枚現存しているそうです。 「なによりも人にとって不孝がもっとも恐ろしいことである(通解)」という書き出しで…

四条金吾御書 全1175頁 新1592頁  57歳御作

崇峻天皇御書の中にも「九思一言」の話がありましたが、この御書にも出てきます。そのため別名がこの御書は九思一言事と言われます。 いつも思うのは大聖人様の文面、非常に比喩がうまく使われていてわかりやすいし、かつ文学的だということ。 この御消息の…

崇峻天皇御書  全1170頁 新1592頁 56歳御作

結構有名な御書の一節が含まれている御書です。別名「三種財宝御書」 5頁半くらいあります。四条金吾に宛てた長めのお手紙です。 有名なところ: 「人身は受け難し、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくた(腐)して死せんよ…

四条金吾殿御返事 56歳御作

御書の本文3行の短い御書ですが、折伏の時使えるかな~暗誦しよっ なんて思いましたよ。私の中ではかっこいい御書ですが・・・難しいからせめて太字にしたとこだけ覚えよう! 本文:法華経本迹相対して論ずるに迹門は尚始成正覚の旨を明す故にいまだ留難かか…

世雄御書 四条金吾殿御返事 1165頁 56歳御作

建治三年(1277年)四条金吾が陳状をしたためていただいたお礼と絶対に起請文を書きませんとの決意を報告したことに対する御返事です。 届けられた書状を読んで安心したことが、このように書かれています。 御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけ・とをき道を…

不可惜所領事  四条金吾殿御返事 1163頁 56歳御作

5月7日に頼基陳情について書きましたが、御書でいえばその次にくるお手紙です。 建治三年には桑ケ谷津問答が起こり、金吾は法座を乱した言われ主君から法華経を捨てるという誓約を書くよう命じられました。しかし、金吾は決して誓約は書かないと大聖人にお誓…

中陰御書 第37巻読了 (上野殿・南条殿への御書21編)

結構短編の御書が多くてブログには、最後にまとめて感想を書こうと思いました。 末法要法御書から塩一駄御書まではすでに書きました。そのあとで一番長かった中陰書(上野殿母御前御返事)のことを書こうと思います。 上野殿母御前御返事(中陰書)1568頁 故…

塩一駄御書  上野殿御返事  1551頁 57歳御作

南条時光に与えられた御消息。塩一駄(一駄は馬一頭に負わせる荷物の量)とはじかみ(生姜)を送ってもらったことに対するお礼のお手紙です。短いので全文写します: 塩一駄はじかみ送り給び候。 金多くして日本国の沙のごとくならば誰か・たからとして・は…

時光御返事  1549頁 57歳御作

阿那律の故事や迦葉尊者の過去世の因縁を引いて、時光の供養の志をたたえ、この功徳が時光の身に帰ってくることを教えられている。 御書の通解: 今年は疫病や飢饉などで訪れて来る人も少ない。たとえ病にかからなくても飢えて死ぬことは疑いないと思ってい…