2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
結構短編の御書が多くてブログには、最後にまとめて感想を書こうと思いました。 末法要法御書から塩一駄御書まではすでに書きました。そのあとで一番長かった中陰書(上野殿母御前御返事)のことを書こうと思います。 上野殿母御前御返事(中陰書)1568頁 故…
南条時光に与えられた御消息。塩一駄(一駄は馬一頭に負わせる荷物の量)とはじかみ(生姜)を送ってもらったことに対するお礼のお手紙です。短いので全文写します: 塩一駄はじかみ送り給び候。 金多くして日本国の沙のごとくならば誰か・たからとして・は…
阿那律の故事や迦葉尊者の過去世の因縁を引いて、時光の供養の志をたたえ、この功徳が時光の身に帰ってくることを教えられている。 御書の通解: 今年は疫病や飢饉などで訪れて来る人も少ない。たとえ病にかからなくても飢えて死ぬことは疑いないと思ってい…
この御書の最初のところにしなしなのものをくり給びて法華経にまいらせて候、とあるので、しなしなを種種とルビをふってあるので、そのまま御書の題名になっている。 弘安元年7月7日、身延にて南条平七郎に与えられた御消息とされる。 別名「種々供養書」内…
南条七郎次郎女房に与えられた。5行ほどの短いお手紙です。全文の通解です: 米2俵をお送りただきました。たびたびの御志はお礼の申し上げようもありません。 水は寒さが積もれば氷となるし、雪は重なれば水精(水晶)となります。悪が積もれば地獄に堕ち、…
南条時光に与えられた御消息。内容は時光の姪にあたる、石河兵衛入道の娘が亡くなったことの報告を聞かれた大聖人が、石河姫御前が臨終に南無妙法蓮華経を唱えたことを讃嘆され、末法には余経も法華経も成仏得道の法とはならず、ただ南無妙法蓮華経に限るこ…
弘安4年(1281年)正月5日に身延で書かれたと推定されているそうです。 重須殿の婦人が年の初めに蒸餅や果物をご供養されたことに対するお返事です。 新年勤行会でよく読まれたことがあるし、座談会御書でもよく出てきたので、馴染みのある御書だと思います…
これも三沢小次郎に与えられた御書。三沢抄、別名、佐前佐後抄として有名な御書です。 というのは1489頁7行目から「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」とあるように佐渡に流される前の法門は釈迦の爾前経と…