2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
弘長元年6月27日、日蓮大聖人が40歳の時、伊豆国伊東で著され、船守弥三郎に与えられた御消息です。 弥三郎は伊豆国川奈の舟持ちの漁師で弘長元年五月十二日に流罪されて川奈に着かれた日蓮大聖人をお助けして三十日にわたって匿いお仕えしています。その後…
浄蓮房が身延におられる日蓮大聖人に細美帷(さいみかたびら)を一つ供養したことに対するお返事。浄蓮房に対するお手紙としては本抄1通である。 全体の内容としてはまず、善導の立てた浄土の法門をあげて観経と法華経、阿弥陀仏と釈尊との相違を述べ、その…
盂蘭盆を前にした7月13日に門下の治部房日位(じぶぼうにちい)の祖母に与えられた御消息。別名「治部房祖母への書」 初めに盂蘭盆経の意を引いて起こりを述べ、目連尊者が神通力を持ちながら餓鬼道に堕ちた母の苦悩を救えなかったことを明かし、目連が法華…
伊豆の信徒・新田四郎信綱とその夫人がご供養を送ったことに対する返礼。 御書は漢文で書かれています。短いですが、大事な内容の御書です。 新田四郎信綱は日目上人のすぐ上の兄で、南条時光の義兄にあたります。時光の姉である夫人もともに純真な信心を貫…
この御書は講義とか通解を読まずに本文を読んでいるとどういうことだかよくわからないまま終わりそうな感じですけど、こういう風に言いなさいということを詳しくご教示された御書なので、そう思って読むと腑に落ちますね。 講義は第1章と第2章に分けて書かれ…
「身軽法重死身弘法御書」とも言います。弘長元年四月二十八日鎌倉で椎地四郎に与えられたお手紙です。大聖人にしばしばお会いして四条金吾や富木常忍とも親交があったようです。有名な一節「大難来たりなば強盛の信心いよいよ悦びをなすべし」と言われてい…
夫れ味に六種あり・一には淡(あわき)・二には鹹(しおからき)・三には辛(からき)・四には酸(すき)・五には甘(あまき)・六には苦(にがき)なり、百味の餚膳(きょうぜん)を調(ととの)ふといへども一つの鹹(しお)の味なければ大王の膳とならず、…
文永9年 佐渡一谷(いちのさわ)から鎌倉で大聖人の留守を守っている日昭、大進阿闍梨、三位房の三人に与えられた短文の御消息です。 短いお手紙なので、現代文で載せます。 よくわからないところがあれば論争はやめて、書き付けて私の方へ送るようにしなさ…
内房というのは静岡県の富士川の岸の小さな村落の名前。身延街道沿いに位置し、大聖人は身延入りの途中、この地で一泊されている。内房女房はそこに住んでいた信徒で、氏姓をもつ家柄の夫人のようです。 亡き父の追善のために五万遍の題目を唱えたことを。全…
熱原法難から2年後も迫害は続いていた門下一同に対して、ますます強盛な信仰に励むよう激励されたもの。第六天の魔王が国主や父母の身に入って信仰を妨げようとするが、いかなる妨害にも従わないことが、真の忠義であり孝養であると言われています。さらに法…