御書大好き!!

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御義口伝 普門品五箇の大事 第二 全775頁  新1079頁

第二 「観音妙」の事


  御義口伝に云わく、「妙法」の梵語は「薩達摩」という。「薩」とは、「妙」と訳す。したがって、この「薩」の字は、観音の種子である。よって、「観音と法華とは、眼目の異名なり(名が異なっているだけで、実体は同じく南無妙法蓮華経であるとの意味)」と釈している。

今、末法に入って、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱えることは、観音の利益よりも大なること天地雲泥の開きがある。

 所詮、【観世音の名の本義は】「観」とは、円観で妙法の智慧をもって、一切を十界三千の当体と知見していくことである。「世」とは、不思議なること(すなわち妙法である)。「音」とは、仏機(仏を求める衆生の声・成仏の機根)である。

「観」とは、円観であるから法界(すなわち宇宙森羅三千)の異名である。

観世音とは、諸法実相、すなわち万法の当体の姿がそのまま妙法蓮華経の当体であると観ずることであるから、地獄・餓鬼・畜生等の界々を即、妙法の世界、不思議世界と知見することである。

「音」とは、機根であるが、諸法実相であるから、一切の衆生が実相の仏でないということはない。

寿量品の時は十界本有と説いて無作の三身をあらわしたのである。観音菩薩も、既に法華経を頂き、受持して成仏したのである。したがって、この経(妙法)受持の行者は、観世音の利益より勝れているのである。

 

<講義より>

阿弥陀経では智慧をあらわす勢至(せし)と並んで、観音は慈悲を象徴するとされ、阿弥陀の脇士となっている。なんといっても観音信仰が広く庶民の間に流布したのは普門品第二十五において三十三身、その衆生救済の功力が説かれたためであろう。こうした観音のイメージが中国において陰陽思想、我が国においては古来の自然崇拝と結合して、実にさまざまの観音像を生み出し、根強く民衆の間に浸透してきたのである。だが、「此の薩の字は観音の種子なり」とあるように、観音とは妙法を種子として出た力用にほかならず、実体は寿量品第十六の無作三身の仏に帰着するのである。