2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧
桟敷女房御返事 建治四年二月 五十七歳御作 白かたびら布一給い畢んぬ、法華経を供養申しまいらせ候に・十種くやうと申す十のやう候、其のなかに衣服と申し候は・なににても候へ、僧のき候物をくやうし候、其の因縁を・とかれて候には過去に十万億の仏を・く…
帷(かたびら)供養御書ともいう。 さじき女房御返事 建治元年五月 五十四歳御作 女人は水のごとし・うつは物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につがはさる・女人はふねのごとし・かぢのまかするによるべし、しかるに女人はをとこ・ぬす人なれば女人ぬす人…
1278年3月21日、身延におられる大聖人が鎌倉在住の弟子檀那に与えられた御消息です。背景には鎌倉で日蓮大聖人と真言・禅などの諸宗の僧を公場で対決させようとする動きがあったようで、そのことを鎌倉から急使をもってお知らせしたことに対するお返事が本抄…
別名は「建長寺道隆事」弥源太が道隆の死亡を報告したことに対するご返事。 道隆の骨が舎利になったと言いふらしていたことに対して、釈尊在世の苦得外道等の例を引いて同様であると指摘され、道隆の邪義と生前の振る舞いより見て、道隆の骨が舎利になったか…
転子病御書ともいう。転子病というのは親から子へ遺伝する病気を指す。 文永11年9月17日、日蓮大聖人が53歳のとき身延で著され、鎌倉の北条弥源太に与えられた御消息です。北条弥源太入道が病気平癒の報告をしたことに対するご返事です。 今は法華経知ってい…
別名を善悪二刀御書という。 人を殺す悪の刀であっても、大聖人にご供養したあとは法華経の力で善の刀になるので、それで善悪二刀(御書)なのですね。持ち主である弥源太が死後悪道に堕ちないように支える善の杖となる刀なのかもしれません。悪が転じて善と…
池田先生の日曜日の聖教新聞に載っている「四季の励まし」 今日は御書を読んで実践するよう励ましておられるので、ぐっときました。 今、コロナ禍で友達に会えないからと言いわけして、電話でもしたらいいのに、それもなかなかで、とにかく化他行の折伏の実…
身延から日昭に送られたお手紙。ご真蹟は京都の本能寺に現存する。 一紙の中に多くの要件を書こうとされたので紙幅の尽きた分は紙の端、行間を利用して書き継がれている。手紙の裏に書き付けた真言の表等とともに身延での生活の一端がわかる。本抄はこまごま…
別名を大兵興起御書という。大聖人が佐渡一谷で弁殿尼御前に送られた御書。 御真蹟は全編二紙で千葉県市川市の中山法華経寺に現存する。 短いけれど尼御前を励ます言葉に心打たれました。 貞当は十二年にやぶれぬ・将門は八年にかたぶきぬ、第六天の魔王・十…
1278年(建治4年)正月16日、大聖人が57歳のとき、身延で著され駿河国富士郡岩本の実相寺の住職・豊前房に与えられた。豊前房は日興上人によって門下になったようです。 講義を読むと背景がよくわかっていいと思います。 大体の内容は:「実相寺の住職の尾張…