御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

御義口伝 常不軽品 第三 全764 新1064

第三 「威音王」の事 御義口伝に云わく、「威」とは色法であり、「音」とは心法である。そして「王」とは色心不二を「王」という。 末法に入って南無妙法蓮華経と唱え奉る、これがその「威音王」ということである。 その故は、「音」とは一切権教の題目等で…

御義口伝 常不軽品 第二 全764頁  新1064頁

第二 「得大勢菩薩」の事 御義口伝に云わく、 「得」とは応身なり、(無量の功徳を得た幸福な人生の姿) 「大」とは法身なり、(偉大な生命自体) 「勢」とは報身なり。(生命の威光勢力、生命力であり、智慧) また「得」とは仮諦なり、 「大」とは中道なり…

御義口伝 常不軽品三十箇の大事 第一 全763頁 新1064頁

常不軽品三十箇の大事 第一 「常不軽」の事 御義口伝に云わく、「常」の字は、三世の不軽のことである(三世にわたって不軽が存在するということです)。 「不軽」とは、一切衆生の内証に具するところの※三因仏性を指すのである。仏性とは、法性のことである…

御義口伝 法師功徳品 第四 全763 新1063

第四 「是人持此経 安住希有地(この人はこの経を持ち、希有の地に安住す)」の事 御義口伝に云わく、「是人」とは、日本国の一切衆生の中には法華の行者のことである(すなわち日蓮大聖人のことである)。「希有地(けうじ)」とは、寿量品の事・理の顕本を…

御義口伝 法師功徳品  第三  全763頁  新1063頁

第三 「又如浄明鏡(また浄明なる鏡のごとし)」の事 御義口伝に云わく、法華経に鏡の譬えを説くこと、この明文なり。 六根清浄の人は「瑠璃」「明鏡」のごとく三千世界を見るという経文なり(三千世界を明らかに己心に映して見ることが出来るという経文であ…

御義口伝 法師功徳品 第二  全762頁  新1062頁

第二 「六根清浄」の事 御義口伝に云わく、眼の功徳とは、法華不信の者は無間に堕在し、信ずる者は成仏なりと見るをもって眼の功徳とするなり。法華経を持ち奉るところ、眼の八百の功徳を得るなり。眼とは法華経なり。「此大乗経典、諸仏眼目(この大乗経典…

御義口伝 法師功徳品四箇の大事 第一 全762頁 新1062頁

第一 「法師功徳」の事 御義口伝に云わく、「法師」とは、五種法師である。「功徳」とは、「六根清浄」の果報である。所詮、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「六根清浄」となる。 したがって、妙法蓮華経の法師と成って大いなる徳(さいわ…

御義口伝 随喜功徳品  第一 全761頁  新1061頁

随喜品二箇の大事 第一 「妙法蓮華経随喜功徳」の事 随喜功徳品第十八の題号である、随喜功徳についての観心釈である。 御義口伝に云わく、「随」とは、事・理に随順するをことをいう。「喜」とは、自他共に喜ぶことである。 事とは、五百塵点の事顕本に随順…

御義口伝 分別功徳品 第三 全761頁 新1061頁

第三 「仏子住此地 則是仏受用(仏子この地に住せば、則ちこれをば仏は受用したもう)」の事 御義口伝に云わく、この文を自受用の明文というのである。「此地」とは、無作の三身の依る地なり。「仏子」とは、法華の行者なり。仏子は菩薩なり。法華の行者は(…

御義口伝 分別功徳品 第二 全760頁 新1060頁

第二 「是則能信受 如是諸人等 頂受此経典(これは則ち能く信受せん。かくのごとき諸人等は、この経典を頂受す)」の事 ここは、分別功徳品十七で仏が弥勒菩薩に向かって偈を説いて、六度の修行、その功徳、そして不退を讃えて「是即ち能く信受せん、是の如…

御義口伝の序より先生の言葉ほか、今朝思ったこと

私が持ってる御義口伝講義の本は絶版となっているので、二度と同じ本が刊行されることはないです。 池田先生が死ぬ間際まで御義口伝の講義を大白蓮華に掲載してくださったことを思えば、どれほど大事な御書かはわかると思う。御義口伝講義上の序を今日もう一…

御義口伝 分別功徳品三箇の大事 第一 全760頁 新1060頁

寿量品が終わりましたので、これからは初耳が多い経本になりますね。 分別功徳品三箇の大事 第一 「其有衆生、聞仏寿命長遠如是、乃至能生一念信解、所得功徳、無有限量(それ衆生有って、仏の寿命の長遠なることかくのごとくなるを聞き、乃至能く一念の信解…

御義口伝 寿量品 第二十七 全760頁 新1059頁

第二十七 無作の三身の事 種子・尊形・三摩耶 御義口伝に云わく、尊形とは、十界本有の形像なり。三摩耶とは、十界の所持の物なり。種子とは、信の一字なり。いわゆる南無妙法蓮華経改めざるを云うなり。三摩耶とは、合掌なり。秘すべし、秘すべし云々。 今…

御義口伝 寿量品 第二十六 全760頁 新1059頁

第二十六 寿量品の対告衆の事 寿量品が誰のために説かれたのか、すなわち対告衆について、説かれたところです。 御義口伝に云わく、経文は(文上においては)「弥勒菩薩」が対告衆になっている。しかしながら、寿量品は一往は在世の衆生のためである。だが、…

御義口伝 寿量品 第二十四~二十五 全759頁 新1058頁

第二十四 この寿量品の所化の国土と修行との事 御義口伝に云わく、当品流布の国土とは、日本国なり。総じては南閻浮提なり。所化とは、日本国の一切衆生なり。 修行とは、「無疑曰信(疑いなきを信と曰う)」の信心のことなり。授与の人とは、本化地涌の菩薩…

御義口伝 寿量品 第二十三 全759頁 新1058頁

第二十三 「久遠」の事 御義口伝に云わく、この品の所詮は「久遠実成」なり。「久遠」とは、はたらかさず、つくろわず、もとのままという義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、これ働かさざるなり。三十二相八十種好を具足せず、これ繕わざるなり。本有常…

御義口伝 寿量品 第二十二 全759頁 新1058頁

第二十二 自我偈始終の事 御義口伝に云わく、「自」とは、始めなり。「速成就仏身(速やかに仏身を成就す)」の「身」とは、終わりなり。始終、自身なり。中の文字は受用(=活動)なり。よって、自我偈は自受用身(日蓮大聖人のこと)である。法界を自身と…

御義口伝 寿量品 第二十~第二十一 全759頁 新1057頁

第二十 「得入無上道(無上道に入ることを得)」等の事 御義口伝に云わく、「無上道」とは、寿量品の無作の三身なり。この外に「成就仏身(仏身を成就す)」これ無し。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「成就仏身」疑いなきなり云々。(成…

御義口伝 寿量品 第十九 全758頁  新1057頁

第十九 「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」の事 御義口伝に云わく、「毎」とは、常の意で三世(常住)をあらわす。 「自」とは、別しては釈尊(仏界)をあらわし、総じては十界(各々の生命)をあらわす。「是念」とは、無作本有の南無妙法蓮華経の一…

御義口伝 寿量品 第十七 全758頁  新1056頁

第十七 「放逸著五欲 堕於悪道中(放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕つ)」の事 勤行でよく読んでるから、ここへ来たら思い出してくださいね~ 「ほういつ=謗法の人は五欲に執着して、悪道に堕ちていくんやなって」 御義口伝に云わく、「放逸」とは、謗法…

御義口伝 寿量品 第十六 全757頁 新1056頁

第十六 「我亦為世父(我もまたこれ世の父なり)」の事 御義口伝に云わく、「我」とは釈尊、一切衆生の父なり。主・師・親において、仏に約し、経に約す。仏に約すとは、迹門の仏の三徳は、(譬喩品第三にある)「今此三界(今この三界)」の文これなり。本…

御義口伝 寿量品 第十五 全757頁 新1055頁

第十五 「衆生見劫尽○而衆見焼尽(衆生は劫尽くと見る○しかも衆は焼け尽くと見る)」の事 御義口伝に云わく、本門寿量の一念三千を頌(じゅ)する(ほめたたえる)文なり。「大火所焼時(大火に焼かるる時)」とは、実義には煩悩の大火なり。「我此土安穏(我…

御義口伝 寿量品 第十四 全756頁 新1054頁

第十四 「時我及衆僧 俱出霊鷲山(時に我および衆僧は、ともに霊鷲山に出ず)」の事 御義口伝に云わく、「霊山の一会、儼然としていまだ散らず(霊山一会儼然未散)」の文なり。「時」とは、※感応末法の時なり。 ※衆生が御本仏の出現を感じ、御本尊もまたこ…

御義口伝 寿量品 第十二 第十三 全756頁  新1054頁

第十二 「為度衆生故 方便現涅槃(衆生を度せんがための故に、方便もて涅槃を現ず)」の事 御義口伝に云わく、涅槃経は法華経より出でたりという経文なり。既に「方便」と説かれたり云々。 説明いりますかね~講義読みましたが、涅槃経は爾前経と共に法華と…

地区を変えていきたいという大切な後輩の思い

今日は後輩と3時間くらい有意義な話ができて、とてもうれしかった~!!! 憧れの関西なのに、常勝関西なのに、皆なんで冷めてるねん、後輩ががっかりしてるやん。 同感やで~。私もここの組織は冷たいと思ってる。他所の地区は知らんけど。家族が大腸がんの…

地区、ブロック、小グループで御書を研鑽する

私は婦人部、今は女性部、なので小グループのあり方を前からよく考えてきました。 大白蓮華にある婦人部の御書のとこ読んで、感想も言わんとあとは雑談!あかんやろ。感想たまにいうこともあったけど、最近はあまりなかった。 皆の近況報告はいいけど、一人…

御義口伝 寿量品 第十一「自我得仏来」の事  新1054頁 全756頁

第十一 「自我得仏来(我は仏を得てより来=このかた)」の事 御義口伝に云わく、一句三身の習いの文と云うなり。 「自」とは、九界なり。「我」とは、仏界なり。この十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり。自も我も得たる仏来れり。十界本有の明文…

御義口伝 寿量品 第十  新1053頁 全755頁

第十 「是好良薬、今留在此。汝可取服。勿憂不差(この好き良薬を、今留めてここに在く。汝は取って服すべし。差えじと憂うることなかれ)」の事 御義口伝に云わく、「是好良薬」とは、あるいは経教、あるいは舎利なり。さて、末法にては南無妙法蓮華経なり…

御義口伝 寿量品 第九  新1053頁 全755頁

第九 「毒気深入、失本心故(毒気は深く入って、本心を失えるが故に)」の事 御義口伝に云わく、「毒気深入」とは、権教の謗法の執情深く入りたる者なり。 これによって法華の大良薬を信受せざるなり。服せしむといえども吐き出だすは、「而謂不美(しかも美…

御義口伝 寿量品 第八 「擣簁和合、与子令服」の事 全755 新1052

第八 「擣簁和合、与子令服(擣き簁い和合して、子に与えて服ましむ)」の事 (「とうしーわーごうよーしーりょうぶく」って経文で読んでましたね。) 寿量品の偈に「父、子らが苦悩するのを見て諸々の教えによって、好ましい薬草の色も香りも美しく味もよく…