2021-01-01から1年間の記事一覧
別名を「土餅供養御書」という。 文永11年11月11日、大聖人が53歳の時、身延から南条時光に与えられた御消息です。 初めに仏への供養を得勝童子・無勝童子と儒童菩薩の故事をあげて述べたうえで、法華経を引いて、末法の法華経の行者を供養する功徳が、仏に…
文永11年7月26日に身延から送られたお手紙です。 上野殿御返事 文永十一年七月 五十三歳御作 鵞目十連・かわのり二帖・しやうかう二十束を頂戴しました。鎌倉でお会いしたことはその場限りの事かと思っていたのに、忘れられることがなかったとは、申すことば…
「地獄即寂光御書」ともいう。 文永11年7月11日、大聖人が53歳のとき、身延でおしたためになられた御書です。 文永2年の御術作という説もあります。 お手紙を頂いたのは南条七郎次郎時光の母です。 時光の純真不屈の信心はこの母の感化によるところが多い。 …
文永二年(1265年)に南条兵衛七郎の夫人に与えられたと推定されている御消息です。年代もはっきりしていません。弘安三年や建治年間ではないかとする説もあります。 初めに法華経の中で薬王品の位置と役割を述べて、次に薬王品に説かれている大海の譬え、山…
今週の読書会は、第16巻の「入魂の章」でした。 今回はその前の章からも先生の御加減がとても悪くて、それでも休まれずに先生は戦われていましたので、本当に池田先生の遺言と感じるくらいの気迫を感じる表現が多く、言っておかなければならない指導を書き尽…
文永元年12月に書かれた御書です。ご真筆も存在しています。同年11月11日の小松原の法難から1か月後にあたります。重病になった南条兵衛七郎を励ますために著されたので「慰労書」と言われています。また、小松原の法難のことものべているため「小松…
建治三年(1277年)身延で著され、安房・清澄寺の聖密房に送られたお手紙です。 真言宗を徹底的に破折された御抄で、はじめにインド・中国・日本の三国にわたる真言師が、法華経を大日経に劣るとした文証をあげ、それらの邪義を天台大師が立てた一念三千の法…
建治二年正月11日、身延で著されて、安房国の清澄寺の大衆に与えられた御消息です。 前年12月26日に、真言僧、強仁(ごうにん)より法論対決を迫る書状が届いており、真言宗と公場で対決する可能性が生まれたので、それに備えて天台・真言の疏釈を借用するた…
今日は11.18!創価学会創立記念日おめでとうございます!! 牧口初代会長の御命日でもあります。南無妙法蓮華経。 新聞に新しい女性部の体制が書かれていました。 今回は女子部が女性部に合流しましたね。 41年前、私が結婚してすぐ支部婦人部長と女子部部長…
私の使ってる拡大版の御書の方が文字が大きくて読みやすいです。 老眼なので少しでも字が大きいと助かりますが、分冊御書は、文字が大きくなったというわりには、拡大版ほどではないんですね。それが残念かな。ルビが小さすぎて老眼鏡プラス虫めがねがいる。…
文応元年(1260年)5月28日、鎌倉の松葉が谷の草庵で書かれた書。 内容は、ある人(念仏者)が予(よ=大聖人)に問うという問答形式で書かれている。 日興上人は十大部の一つと選定された。 御書全集の一番最初に載せられている。だからこの御書だけは以前…
前半が欠けたお手紙です。年月と宛名は不明。 一説では四条金吾に与えられたものではないかと言われているようです。 大聖人門下が迫害を受け、迫害した者が罰を受け、石灰虫が降り、国の三分の一は飢餓に陥ったこと、蒙古の襲来のために国が滅びることがあ…
分冊の第1巻をAmazonで予約していたので、 今日ポストに届いてるのを手にしました。 昨日投函されてたのに、ポストの途中で引っかかってて、わからなかったのです。 Amazonの購入履歴で投函されてるとわかり、確かめたらありました〜〜! 表紙はこんな感じ、…
衣を供養した女性の信徒に与えらた御消息です。御術作の年月や宛名が欠けているために、その背景や由来がわかっていません。 衣を供養する功徳が大きいこと、衣の布施を怠った者の悪報が明かされています。また、大聖人御自身が無戒の比丘、邪見の者であるた…
本抄は弘安元年四月、身延において述作されたお手紙で、宛名が記載されていないため、檀越某御返事と名付けられてきましたが、内容から四条金吾へ賜わったというのが有力な説であります。 「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」という有名な一節がこのお手紙…
以前書いていたブログがあったのですが、気になってて、なかなか開くこともなかったけど、内容が私としては全面学会員丸出しの素晴らしい(自画自賛しすぎて笑うしかない)ので、本にしてみました。FC2ブログだったので、書籍化というのをクリックしたら、ブロ…
別名を「業病能治事」という。 乗明が病気の時との報告に対し、経文を引いて、病気の原因に六つあることを明かし、第六の業病が最も治しがたく、中でも法華経誹謗の業病が最も重いことを明かされています。乗明の病気も謗法によるものだが、妙法を持っている…
建治元年7月2日、大聖人が身延において大田乗明の夫人に与えられたお手紙です。 別名は「即身成仏抄」 この夫人は信心においても仏法教理の理解においても優れた人であったと思われます。乗妙に色々聞いて仏法がよくわかったとも推測されますし、お手紙も読…
別名を「天台真言勝劣事」と言います。 書かれた年代については、色々説がありますが、文永12年1月24日としておきます。 大田乗明個人あてとされていますが、内容は私信ではなく、門下のために法門を記されたものです。特に真言について法華との勝劣を明らか…
富木常忍に与えられたとされています。建長5年4月に宣言された南無妙法蓮華経のもつ意義と具体的修行としての唱題が述べられ、信心の目的である成仏について、成仏のカギを握る法が人間の外にあるのではなく、己心にあることを強調されています。 「要訳」 …
文永8年10月5日、日蓮大聖人が50歳の時、相模依智で著され、太田左衛門尉・曾屋教信・金原法橋の三人に与えられた御消息です。同年9月12日の竜の口法難の後、依智の本間邸に入られた大聖人を三人がお見舞いしたことに対する御返事です。 涅槃経に説かれる転…
文永十年正月二十八日、大聖人が52歳の時、佐渡一谷(さどいちのさわ)から最蓮房日浄に送られました。 病弱であった最蓮房が「息災延命」の祈祷法について質問したことに対して、法華経の要文をしたためた祈祷経を与え(祈祷抄)、その副状として最蓮房の質問…
地球温暖化を予測、ということでアメリカプリンストン大学の真鍋叔郎さん(90歳)がノーベル物理学賞を受賞された。真鍋さん、奥様、本当におめでとうございます! いつも思うことだけど、受賞のうれしさもあるだろうけど、日本人のノーベル賞受賞者は皆明る…
文永9年、佐渡で著され最蓮房日浄に与えられた御書です。最蓮房の質問に対するお答えのお手紙です。 初めに法華経による祈りこそ真の祈りになると言われています。二乗は法華経によって成仏を許されたという大恩があり、一切の菩薩や凡人が仏になることがで…
文永9年(1272年)2月20日、日蓮大聖人が51歳の時に佐渡塚原で著され、最蓮房日浄に与えられた御消息です。 初めに草木成仏は有情・非情のうちどちらの成仏かという問いを設けて、非情の成仏であることを明かされます。次に法華経では有情・非情ともに成仏す…
普通に「日蓮大聖人御書講義」という本が親切でわかりやすいのですが、戸田先生の御書講義はおもしろくてわかりやすい、しかも説明をもうちょっとすると難しくなるってところはわざと省かれてると思う。(私の感想ですが)全部写すのは大変なので、途中まで…
文永9年2月11日、大聖人が51歳のとき、佐渡塚原でしたためられ、最蓮房日浄に与えられたお手紙です。 〈背景〉 この年、1月16日に塚原問答があった。これは、大聖人の御命を狙う念仏者たちに対し、佐渡の守護代・本間六郎左衛門尉が、法論で決着をつけるよう…
文永10年(1273年)5月17日、佐渡の一谷(いちのさわ)から最蓮房に送られた御消息。 初めに法華経方便品の「諸法実相乃至本末究竟等」の意義について、十界の依正の当体が妙法蓮華経の姿であるとの意であることを明かし、それを事相に顕したのが法華本門の…
「公明党に問う この国のゆくえ」という本を読み終わりました。 先日は山口代表と佐藤優さんの対談も読みました。どっちも良かったです。疑問に思っていたことが、すっきりしたって感じです。 うちの家族から最近公明党批判があるもので、そんなはずないけど…
文永10年5月28日 日蓮大聖人が52歳の時、佐渡の一谷(いちのさわ)から安房清澄寺の義浄房に送られた御消息です。 別名を「己心仏界抄」といいます。 義浄房の質問に対して答えて、天台よりも深い事の一念三千の法門を説かれています。 義浄房の環境は厳しく…