2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧
日蓮大聖人の出世の本懐について書かれた唯一の御書。建長5年の立宗宣言より27年で出世の本懐を遂げると書かれています。弘安2年10月12日に本門戒壇の大御本尊を顕されたのに対して、この御書は10月1日にしたためられています。当時日興上人を中心として弟子…
四条金吾さんの奥さんが日限女です。37歳の厄年の厄払いのために釈迦仏像を造立して大聖人に供養したようです。ほんとはあかんのです。謗法です。でも、大聖人が日限女の悪気のない真心からのご供養に対して大きな気持ちで受け取られてほめられているお手紙…
今月二十二日・信濃より贈られ候いし物の日記・銭三貫文・白米能米俵一・餅五十枚・酒大筒一・小筒一・串柿五把・柘榴十、 夫れ王は民を食(じき)とし民は王を食(じき)とす【さて国王は民に依って立ち、民は国王に依って立つのである。】 衣は寒温をふせ…
四条金吾が主君から旧領の三倍もの新しい領地を賜ったと報告したことに対する御返事です。 御書: 御所領・上より給わらせ給いて候なる事まこととも覚へず候・夢かとあまりに不思議に覚へ候、御返事なんどもいかやうに申すべしとも覚へず候、 通解:御所領を…
この題号の元となったところは1180頁3行目です。 「根深ければ枝栄え、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根浅く流れ近く、法華経は根深く源遠し、末代悪世までも尽きることなく栄え、流布していくと天台大師は言われている。」 ※「根と源」は諸仏の智…
およそ人には二種類の病気があり、一つには身(肉体)の病(やまい)、いわゆる地大百一・水大百一・火大百一・風大百一・以上の四百四病がある。これらの病は治水(じすい)・流水(るすい)・耆婆(ぎば)・中国古代の名医と言われた偏鵲(へんじゃく)等…
四条金吾に与えられたお手紙です。 このお手紙は全部で12枚あったようですが、前の方の9枚は散失し、残った3枚が京都の妙覚寺に1枚、妙顕寺に2枚現存しているそうです。 「なによりも人にとって不孝がもっとも恐ろしいことである(通解)」という書き出しで…
崇峻天皇御書の中にも「九思一言」の話がありましたが、この御書にも出てきます。そのため別名がこの御書は九思一言事と言われます。 いつも思うのは大聖人様の文面、非常に比喩がうまく使われていてわかりやすいし、かつ文学的だということ。 この御消息の…
結構有名な御書の一節が含まれている御書です。別名「三種財宝御書」 5頁半くらいあります。四条金吾に宛てた長めのお手紙です。 有名なところ: 「人身は受け難し、爪の上の土。人身は持ちがたし、草の上の露。百二十まで持ちて名をくた(腐)して死せんよ…
御書の本文3行の短い御書ですが、折伏の時使えるかな~暗誦しよっ なんて思いましたよ。私の中ではかっこいい御書ですが・・・難しいからせめて太字にしたとこだけ覚えよう! 本文:法華経本迹相対して論ずるに迹門は尚始成正覚の旨を明す故にいまだ留難かか…
建治三年(1277年)四条金吾が陳状をしたためていただいたお礼と絶対に起請文を書きませんとの決意を報告したことに対する御返事です。 届けられた書状を読んで安心したことが、このように書かれています。 御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけ・とをき道を…
5月7日に頼基陳情について書きましたが、御書でいえばその次にくるお手紙です。 建治三年には桑ケ谷津問答が起こり、金吾は法座を乱した言われ主君から法華経を捨てるという誓約を書くよう命じられました。しかし、金吾は決して誓約は書かないと大聖人にお誓…