御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 薬王品六箇の大事 第一 第二 全773 新1075

第一 「不如受持此法華経、乃至一四句偈(この法華経の乃至一四句偈を受持するにはしかず)」の事 これは薬王品第二十三の「もしまた人あって、七宝をもって三千大千世界を満てて、仏、および大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。この人の所得の功徳も、此の…

御義口伝 嘱累品三箇の大事 第一~第三 全772 新1074

嘱累品三箇の大事第一 「従法座起(じゅうほうざき=法座より起つ)」の事 御義口伝に云わく、「起」とは、塔中の座を起って塔外の儀式なり。三摩の付嘱有るなり。三摩の付嘱とは、身・口・意の三業、三諦、三観と付嘱したもうことなり云々。 <語句> 塔中…

御義口伝 神力品 第八 全772頁 新1074頁

第八 「畢竟住一乗○是人於仏道 決定無有疑(畢竟して一乗に住す○この人は仏道において、決定して疑いあることなけん)」の事 【ここは神力品第二十一で、仏が上行等の菩薩に向かい偈を説いて「無量の菩薩をして、畢竟(ひっきょう)して一乗に住せしめん、是…

御義口伝 神力品 第六 第七 全771頁 新1073頁

第六 「娑婆、是中有仏、名釈迦牟尼仏(娑婆、この中に仏有し、釈迦牟尼仏と名づけたてまつる)」の事 【ここは、神力品第二十一で、十神力の第七、空中唱声のところの文である。即ち、諸天が歓喜して「此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国有り、娑…

法華初心成仏抄 その3 全554頁 新700頁

(全554頁17行目)問うていう、経に「難解難入」と説かれている。世間の人、この文を引いて「法華経は機に叶わず」といっているのは、道理であると思われるが、どうだ。 答えて云わく、根拠のないことだ。そのわけは、この経をよくわかっていない人のいうこ…

法華初心成仏抄 その2 全549頁6行目  新693頁1行目

(日蓮大聖人御書講義第9巻p220) ただし、心あらん人は世間のことわりをもって推察せよ。大旱魃のあらん時は大海が先にひるべきか、小河が先にひるべきか。仏これを説き給うには、「法華経は大海なり観経・阿弥陀経等は小河なり。されば、念仏等の小河…

法華初心成仏抄 その1  全544頁  新685頁

長い御書ですが・・・新版御書で20頁ほどありますね~ 7頁ずつくらいに区切って3回で載せても、一回が長い! 頑張って、わかりやすく語訳(通解など)を入れていきますね。 (048) 法華初心成仏抄 建治3年(ʼ77) 56歳 今回も問答形式のお手紙になってます…

御義口伝 神力品 第五 全771頁 新1073頁

第五 「地皆六種震動。其中衆生○衆宝樹下(地は皆六種に震動す。その中の衆生○衆の宝樹の下)」の事 御義口伝に次のように仰せである。「地」とは、国土世間である。「其中衆生」とは、衆生世間である。「衆宝樹下」とは、五陰世間である。(この文に)一念…

御義口伝 神力品 第四 全771頁 新1073頁

第四 「満百千歳(まんひゃくせんざい=百千歳を満たす)」の事 御義口伝に云わく、「満」とは法界を満たすということである。「百」は百界をあらわし、「千」は千如を意味する。一念三千の哲理を、「満百千歳」と説くのである。一時も、一念も「満百千歳」…

御義口伝 神力品八箇の大事 第二~第三 全770頁 新1073頁

第二 「出広長舌(すいこうちょうぜつ=広長舌を出だしたもう)」の事 御義口伝に云わく、「広」とは迹門、「長」とは本門、「舌」とは中道法性である。十法界は、皆ことごとく妙法の功徳であるから「広」といい、竪に高いところから「長」というのである。…

神力品の講義の続き 法華初心成仏抄の最後

【神力品第一の講義より、神とは諸天善神、というところで、この原理を法華初心成仏抄には次のように示されている。】 新版御書703頁 全集557頁 およそ妙法蓮華経とは、我ら衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連等の仏性と、文殊・弥勒等の仏性…

御義口伝 神力品八箇の大事 第一 全770頁 新1072頁

神力品八箇の大事第一 「妙法蓮華経如来神力」の事 【天台は】文句の十に云わく「『神』は不測(ふしき=不可思議)に名づけ、『力』は幹用(かんゆう=木の幹のような力強い働き)に名づく。不測(ふしき)は則(すなわ)ち天然の体(=無作の三身)深く(…

御義口伝 常不軽品 第二十九 講義のみ

御義口伝講義より 常不軽品三十箇の大事 第二十九「法界礼拝住処の事」 <講義> 法界を理解するためには電波に例えてみるとわかりやすい。例えば、この同じ部屋の中の、同じ空間に、同時に国内のあらゆる放送の電波もあれば、世界各国から放送された、電波…

御義口伝 常不軽品 第二十九~第三十  全769 新1071頁

第二十九 法界は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、法界に立って礼拝するのである。法界とは広いというのでもなく、狭いというのでもない。総じていうなら、法とは(十界三千の)諸法である。界とは境界(生命活動の場)である。 地獄界から仏界まで、各々界…

御義口伝 常不軽品 第二十六~第二十八  全769 新1070頁

第二十六 慈悲の二字は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、不軽礼拝の行は「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」と教えているので慈悲である。既に(上慢の四衆によって)杖木・瓦石をもって打擲されても、「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)=(しいて折伏)…

御義口伝 常不軽品 第二十四~第二十五 全768 新1070頁

第二十四 蓮華の二字は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、蓮華とは因果の二法をあらわす。悪因あれば悪果を感じ、善因あれば善果を感ずる。 ※内証には汝等三因仏性の善因がある。事に顕す時は善果と成って「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」すべしと礼拝した…

御義口伝 常不軽品 第二十二~第二十三 全768 新1069頁

第二十二 法性は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、不軽菩薩、法性真如の三因仏性たる南無妙法蓮華経の二十四字に足立って(足場として=二十四字を根本に)、無明の上慢の四衆を拝したのは、衆生に内在する仏性を礼拝したのである。 <感想> どんな悪者に…

御義口伝 常不軽品 第二十~第二十一 全768頁 新1069頁

第二十 「我本行菩薩道(我は本菩薩の道を行ず)」の文は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、「我」とは、本因妙の時(の姿)を指すのである。「本行菩薩道(もと、菩薩の道を行ず)」の文は、不軽菩薩の振舞いをいう。これを不軽菩薩の礼拝の住所とするので…

御義口伝 常不軽品 第十八~第十九 全767頁 新1068頁

第十八 開・示・悟・入は礼拝の住所の事 御義口伝に云わく、開・示・悟・入の四仏知見を住所とするのである。しかるあいだ、方便品のこの文を礼拝の住所というのである。これは(天台大師は)「内に不軽のあらわ解を懐(いだ)く」と(文句の十に)釈してい…

御義口伝 常不軽品 第十七 不軽菩薩の礼拝住所の事  全767頁 新1068頁

第十七 不軽菩薩の礼拝の住所の事 これについて、十四箇所の礼拝の住所の事これ有り 不軽菩薩の礼拝の住所については十四か所ある。 御義口伝に云わく、まず、第一に礼拝の住所とは、多宝塔中の礼拝である。その故は、塔婆とは五大をもって形成するところの…

御義口伝 常不軽品 第十六 全767頁 新1068頁

第十六 此(この)品の時の不軽菩薩の体の事 御義口伝に云わく、「不軽菩薩」とは十界の衆生である。三世常住の礼拝の行を立てるのである。吐くところの語言は妙法の音声であり(南無妙法蓮華経を唱えるのである)。 (極端な例が)獄卒が杖を取って罪人を呵…

御義口伝 常不軽品 第十五 全766  新1067頁

第十五 「於如来滅後(如来滅して後において)」等の事 【常不軽品において、仏が得大勢菩薩に向かって「得大勢、当に知るべし、この法華経は大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益(にょうやく)して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。この故に諸の菩薩摩訶薩、如…

御義口伝 常不軽品 第十三~第十四 全766 新1067頁

第十三 「常不値仏、不聞法、不見僧(常に仏に値わず、法を聞かず、僧を見ず)」の事 御義口伝に云わく、この文は、不軽菩薩を軽賤するが故に、三宝を拝見せざること二百億劫、地獄に堕ちて大苦悩を受けたと述べている。 今、末法に入って日蓮等の類い南無妙…

御義口伝 常不軽品 第十一~第十二 全765 新1066頁

第十一 「於四衆中説法、心無所畏(四衆の中において法を説くに、心に畏るるところ無し)」の事 【ここは、常不軽品第二十において、仏が不軽菩薩について「斯の諸仏の法の中において、受持読誦して、諸(もろもろ)の四衆のためにこの経典を説くが故に、こ…

御義口伝 常不軽品 第九~第十 全765 新1066頁

第九 「言、是無智比丘(「この無智の比丘」と言う)」の事 御義口伝に云わく、この文は法華経の明文である。上慢の四衆が、不軽菩薩を「無智比丘」と罵詈している。「凡有所見(およそ見るところ有る)」の菩薩を「無智」ということは、第六天の魔王の所為…

御義口伝 常不軽品 第七~第八 全764 新1065頁

第七 「乃至遠見(乃至遠く見る)」の事 ここは、常不軽品第二十で「凡(およ)そ見る所ある」一切の衆生を礼拝したのみならず「乃至遠く四衆を見ても、亦復(またまた)故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎」したと述べられている文についての御義口伝で…

御義口伝 常不軽品 第四~第六 全764 新1065頁

第四 「凡有(ぼんぬ)所見(およそ見るところ有る)」の事 御義口伝に云わく、今、日本国の一切衆生を法華経の題目の機なりと知見することである。 (すなわち、全民衆がこの南無妙法蓮華経に帰依すべき機根であると見ていくのである。) 第五 「我深敬汝等…

御義口伝 常不軽品 第三 全764 新1064

第三 「威音王」の事 御義口伝に云わく、「威」とは色法であり、「音」とは心法である。そして「王」とは色心不二を「王」という。 末法に入って南無妙法蓮華経と唱え奉る、これがその「威音王」ということである。 その故は、「音」とは一切権教の題目等で…

御義口伝 常不軽品 第二 全764頁  新1064頁

第二 「得大勢菩薩」の事 御義口伝に云わく、 「得」とは応身なり、(無量の功徳を得た幸福な人生の姿) 「大」とは法身なり、(偉大な生命自体) 「勢」とは報身なり。(生命の威光勢力、生命力であり、智慧) また「得」とは仮諦なり、 「大」とは中道なり…

御義口伝 常不軽品三十箇の大事 第一 全763頁  新1064頁

常不軽品三十箇の大事第一 「常不軽」の事 御義口伝に云わく、「常」の字は、三世の不軽のことである(三世にわたって不軽が存在するということです)。 「不軽」とは、一切衆生の内証に具するところの※三因仏性を指すのである。仏性とは、法性のことである…