そもそも、上野殿が亡くなられた後、あの世からこちらを訪れていらっしゃるのかどうか、それを知りたいと思います。しかし、それがあるとも思えません。もし夢でなければ姿を目にすることはないでしょうし、幻でなければ声を聞くこともないはずです。ただし…
ですから、故阿仏房(亡き阿仏房)の魂が今どこにいるのかと人々が疑ったとしても、法華経という明らかな鏡を通してその姿を映してみると、霊鷲山の山中にある多宝仏の宝塔の中で、東を向いていらっしゃると、私は(日蓮は)確かに見ております。 (千日尼御…
人として生まれた以上、誰しも死を避けることはできません。今回は「死」をテーマに、遺族への励ましとして書かれた御書をいくつかご紹介します。 今年は阪神・淡路大震災から30年が経ちます。ちょうど先週の金曜日が1月17日であり、テレビでも多くの特集が…
建治・弘安期。 西山殿への短いお手紙です。 〈新版御書の本文〉 としごろ後生おぼしめして御心ざしおわすれば、名ばかり申し候。同行どもにあらあらきこしめすべし。やすきことなれば、智慧の入ることにあらず、智慧の入ることにあらず。恐々謹言。 一月二…
建治2年(ʼ76)5月11日 大聖人が55歳のとき、西山殿に送られたお手紙です。 今回の御書は「身軽法重抄」と似ていますが、ちょっとニュアンスが違うようです。七宝で満たした世界を仏などの四聖に供養する功徳よりも、法華経の経文を受け取って守る功徳には及…
以前もこの乙御前御消息をブログで書きましたが、長いので現代語訳してなかったと思うので、今回全文を現代語訳してみました。2月の大白蓮華の座談会御書、研修教材になっていますので、是非参考にしていただきたいと思います。御書全集では4頁半ほどのお手…
建治元年(ʼ75)9月、大聖人が54歳のとき、西山殿に与えられた御書です。 〈要約〉 西山殿が鎌倉から無事に戻ったという知らせに対する喜びを述べ、蒙古(元)の使者が処刑されたことについては、「罪のない者に対する不当な行為」と見なしており、それを嘆…
建治元年(ʼ75)6月22日 大聖人が54歳のとき、 西山殿に与えられたお手紙です。信心していく上で、善知識が何より大事であるという御書です。同志を大事にして、お互いに支えあって励ましあっていかないといけませんね。 〈現代語訳〉 木を植えるとき、大風…
別名「供養善根の事」という御書です。 弘安4年(ʼ81)12月27日、大聖人が60歳のとき、窪尼御前に与えられたお手紙です。 〈現代語訳〉 品々の物をお送りいただき、誠にありがとうございます。善根(良い行い)というものは、大きいか小さいかだけでは決まり…
弘安3年(ʼ80)6月27日 大聖人が59歳のとき、窪尼に送られたお手紙です。 〈本文の現代語訳〉 仏の弟子の中の「阿那律」という方は、斛飯王の王子であり、家には宝が満ち溢れていました。その後、仏の弟子となり、「天眼第一の阿那律」と称され、三千大千世…
この三つのお名前の方、頂いたお手紙の内容から同一人物ということになっていて、疑う説もあるようですが、同一人物というのが通説です。説明していきますね。 夫は駿河国富士郡賀島荘(現在の静岡県富士市)に住んでいた高橋六郎兵衛入道です。日興上人の叔…
窪尼御前に宛てた短い御書ですので、新版御書と現代語訳を両方載せておきますね。 「一字供養功徳無尽の事」という別名があります。 弘安2年(ʼ79)12月27日 58歳 窪尼 十字五十まい・くしがき一れん・あめおけ一つ、送り給び了わんぬ。 御心ざしは、さきざ…
〈今回は新版御書を元に如説修行抄を全部、現代語訳しました。以前2回書いたことがあるので、感想は省きます。〉 文永10年(ʼ73)5月 52歳 門下一同 考えてみると、末法の世において、仏法が広まるこの時代に日本という国に生まれ、この法華経を信じる人は、…
〈背景の状況説明〉 このお手紙は、大聖人が弟子や信徒に対し、法華経への信心を深めるよう励ましつつ、当時の政治的・宗教的な背景について憂慮を述べたものです。「あつわら(熱原)の件」は、大聖人が佐渡流罪に処された経緯や、周囲の陰謀について触れて…
御書全集と新版御書では題名が違います。宛先が窪尼御前なので、新版御書ではそのように変わりました。 別名を「金と蓮の事」という御書です。 弘安四年 六十歳御作 甘酒一桶、山芋、そして少量のところをお送りくださいました。本当にありがとうございまし…
今回は新版御書で御書本文を載せてみました。その方が御書だけ拝読したときに、大聖人様のお気持ちがストレートに伝わってきます。御書全集の頁も書いておきますね。 その上、日蓮の身ならびに弟子等、過去の謗法の重罪いまだ尽きざるの上、現在は多年の間謗…
病の起る因縁を明すに六有り、一には四大順ならざる故に病む・二には飲食節ならざる故に病む・三には坐禅調わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む」云云、大涅槃経に云く「世に三人の其の病治し難き有り一には大乗…
最近、病気の方にどの御書で励ますのがよいかを考えており、昔の指導要文集から「病気」に関わる御書を集めてみました。御書全集から引用しており、該当する頁と行数も記載しています。また、引用部分には現代語訳を青字で添えていますので、わかりやすく読…
建治2年(ʼ76)11月2日 大聖人が55歳のとき、高橋六郎兵衛入道の一周忌御供養をしたことへの御返事です。故事を色々あげて、夫に死別した妙心尼の悲しみを慰められています。最後に和歌を二首書かれて励まされています。 別名「相思樹御書」 〈御書の現代語…
弘安元年(ʼ78)6月27日 大聖人が57歳のときに、住んでいた地名から窪尼(くぼあま)と呼ばれていた高橋入道の夫人に与えられたお手紙です。夫の重病によって尼となり「妙心尼」と名乗ったようです。夫の死後、実家の由比家へ帰り、改めて「持妙尼」の法号を…
御書全集では高橋殿御返事となっていましたが、内容から高橋殿の女房あてとわかるので、新版御書では高橋殿女房御返事と変更されています。そして、この高橋女房は三つ名前があるので、窪尼、妙心尼、持妙尼、ほとんど同一人物という見解でいいと思います。…
この御書は長いです。私の拡大版の御書で5頁あります。昨日書いた妙心尼の旦那さんの高橋殿です。詳しくは今度まとめてスピンオフで書きますね。 今回は全文一気に現代文に変えて載せます。 建治元年(ʼ75)7月12日 54歳 高橋六郎兵衛 進上 高橋入道殿御返事…
建治元年(ʼ75)8月25日 54歳 窪尼 数々の品をいただき、誠にありがとうございます。幼い方のためにお守りをお送り申し上げます。このお守りは、法華経の中でも最も重要な教えであり、一切経の精髄ともいえるものです。たとえるなら、天における太陽と月、地…
これまでの間、仏の使いとして正しく世に現れ、この経を広める者はいませんでした。そのため、国主もまた、無理にこの経に敵対することはなく、ただ敬うべきものだと考えるだけでした。ところが、今、私は仏の使いとしてこの経を広めたことにより、上は君主…
さて、大好きな新池御書です!まず、冒頭の一節が印象深いところです。 「うれしきかな、末法流布に生まれあえる我ら。かなしきかな、今度この経を信ぜざる人々。そもそも、人界に生を受くるもの、誰か無常を免れん。さあらんにとっては、何ぞ後世のつとめを…
新版御書にある新池殿御消息の本文を現代の日本語に書き直しました。 八木(=米)三石(450キログラムで合ってるかな)を送っていただきました。 (※米の字を分解すれば、「八」「木」の二字となるところから 、八木とは米のこと)今、一乗妙法蓮華経の…
新池殿に宛てたお手紙については、以前(2020年12月9日、10日)にも触れましたが、新池殿についてもう少し掘り下げて理解しておきたいと思います。内容が一部重複するかもしれませんが、ご了承ください。また、その頃は新版御書の発刊前でしたので、御書全集…
弥三郎殿について少し書きます。 現存するお手紙は一通しかないので、弥三郎さんのことはよくわかりませんが、とりあえず、川奈の船守弥三郎さんとは別人です。 静岡県沼津市の斎藤弥三郎ではないかという説もあるそうですが、その人も誰って感じですよね。…
これは、私のような無知な俗人の考えではありますが、以前お聞きした話がとても尊いものに感じられたため、お伝えしたいと思います。それは、法華経の第二巻に記されている「今この三界は」という文に基づくものです。 この文の意味は、現在の日本国は釈迦仏…
大きな文字が新版御書で、小さな文字が現代語訳です。比べるとよくわかります。 この御書に関する説明をスピンオフで書きますね。 これは無智の俗にて候えども、承り候いしに貴く思い進らせ候いしは、法華の第二の巻に「今この三界は」とかや申す文にて候な…