最近指導を受けたいと思ってもそういう幹部が身近にいない問題について。 私もかつて尊敬できた大幹部やそこそこ幹部の方たちに指導を受けて、目からうろこが落ちるようなことが多くありました。その方たちは、もうすでに来世で頑張っておられたり(泣)、年…
今日も早朝4時過ぎから開目抄拝読。どうしたんだ、私。 今日全部拝読したので、明日からよく眠れるかしらん。 明け方が一番集中できるみたい。でも、段々読んだ内容が頭に入ってこなくなった。脳に栄養をあげないとだめだ、と思って6時過ぎにメープルクロワ…
今日は池田先生の一周忌になります。 この一年早かったですね。 まあ、毎年、月日は飛ぶように去っていきますが、充実した毎日だからでしょうか。 だったらいいけど。あと1か月と15日で来年が来ますよ。うそみたいやね。 今朝も寝たのは3時過ぎなのに、4時過…
今朝も4時半起きでした。すぐ眠れそうになくて開目抄読みたくなりました。 上巻最後のとこ読み終わって下巻に入りました。 大事なところをまとめておきます。 提婆品の「二箇の諌暁」というのは提婆達多を代表とする悪人の成仏と、竜女を代表とする女性の成…
時々、自分が守られないことで御本尊を疑う気持ちになりますか?なりませんか? どんなことがあっても、疑わないよって言う人が強盛な信心してる人です。教学もあると思う。教学がないとなんか起こったときに退転してしまうらしいです。 さて、今回読んだ箇…
今朝も早朝から開目抄を拝読できました。 今日学んだところは、一言で言えば、「現代は怨嫉と戦うのが学会員の宿命」っていうことになりますかね。 ネットで色々学会の悪口を書く人がいて、嫌な思いをさせられたり、自分のリアルな人生の中でも学会員という…
今朝も5時前に目覚めて、5時から御書タイム。 とにかく今更ですが、開目抄ってこんなに感動する御書でした? 今日は池田先生の講義で大聖人の誓願の思いがすごく伝わってきて、泣きそうになってしまいました。 これ、是非研究発表なり幹部が座談会の指導の話…
前に書きました義浄房御書の所で、「一心欲見仏 不自惜身命」のフレーズが三回繰り返されているのはなんでやろって思っていて、私なりの解釈を書いたりもしたのですが、今日朝の3時から起きて、最初50分ほど将棋を少々?!やって、うとっとしたので、さあ寝…
前回は身の病と心の病について書いていましたが、続きがあります。 講義録から大事だと思うところを写しておきます。 心の病の話です。 人間の心に渦巻いている三毒をはじめとする様々な煩悩によって心の世界の調和が乱れると、心病が発現してくるのである。…
以前書きました「治病大小権実違目」を読み返すと現代語訳にしてなかったので、現代語訳に訳して載せました。長いので数日掛かってしまいましたし、講義は全然読めなかった。それであとで講義を読むと色々わかったので、スピンオフで書くことにしました。 実…
最近は睡眠時間が前と違って、早朝に目覚めるとそのあと寝れなくて4時とか5時とかでも起きてしまうんです。折角起きたから「EXTRA TIME」(私的には儲けた時間)としてブログに書かないような御書の勉強をしようとすることが多くなり、今日はあの「開目抄講…
弘安元年(ʼ78)6月26日 大聖人が57歳のときに富木常忍に与えられたお手紙です。 私が参考にしている「御書を読む」の本では弘安5年とも、弘安2年とも弘安元年とも書かれておりましたが、新版御書では弘安元年となっています。弘安元年6月26日に四条金吾に…
ちょっと次に書く御書を考えておりました。 観心本尊抄を勉強したから、次はやっぱり開目抄でしょう。 って思ったので、家にあった戸田先生の全集にある開目抄の講義の内容をちらっと読んで、おもしろいなと思ったけど、長い。全部よう書かんわ。ごめんやで…
(講義第31巻って何?っていう人もいるかもしれませんね。昭和の本だからな~) 六郎恒長御消息、波木井三郎御返事などが第31巻の前半の御書なのですが、読むと念仏などの破折が多いようです。今の時代そんなことを勉強せんでもええかなと私は思いましたが、…
女房の御参詣こそ、ゆめともうつつとも、ありがたくうれしいことでした。心ざし(志)非常に真心がこもったものです。今の時期の御いもは、冬のたけのこのようです。まさに夏の雪に異ならないほど珍しいものです。 舂き麦一俵・芋一籠・笋二丸、いただきまし…
弘安3年(ʼ80)10月21日 59歳 刑部左衛門尉の妻 今月飛来の雁書に云わく(今月届いたお手紙には)「この十月三日は、亡くなった母の十三回忌に当たるので、銭二十貫文(御供養いたします)」等云々。 夫れ、外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典五千余…
建治・弘安期 松野殿夫妻 きごめ(生米)の俵一つ・瓜籠一つ・根芋、品々の物をいただきました。 楽徳という名の長者のもとに身を入れて、我が身も妻も子も、夜も昼も責め使われていた者が、余りに責められ、堪えきれずに、隠れて他国に行き、その国の大王に…
弘安2年(ʼ79)または同3年(ʼ80)の1月21日 58歳または59歳 松野尼 (日蓮は)日本国の人にはにくまれております。道を踏み分けて訪ねて来る人もないのに、(山中の不便な生活を)おもいやられての御心ざし、石の中の火のようだし、火の中の蓮のようである…
建治・弘安期 松野殿女房 白米一斗・芋一駄・梨子一籠・茗荷・はじかみ・枝大豆・わさびなど、色々いただきました。 濁れる水には月住まず、枯れたる木に鳥はいない。心なき女人の身には仏はお住みにならない。法華経を持つ女人は澄める水のようである。釈迦…
弘安2年(ʼ79)6月20日 58歳 松野殿女房 麦一箱・いえのいも一籠・うり一籠等、かたがたの物、六月三日に給び候いしを、今まで御返事申し候わざりしこと、恐れ入って候。 この身延の沢と申す処は、甲斐国の飯井野御牧の三箇郷の内、波木井郷の戌亥の隅にあた…
弘安2年(ʼ79)3月26日 58歳 松野殿後家尼 法華経第五の巻の安楽行品に云わく「文殊師利よ。この法華経は無量の国の中において、その名さえも聞くことができなかったのである」云々。 この文の心は、我ら衆生の三界六道に輪回してきたことをいえば、あるいは…
弘安元年(ʼ78)5月1日 57歳 妙法尼〈松野殿の縁者〉 日月が地に落ち、須弥山が崩れることがあっても、彼の女人、仏に成られることは疑いない。あらたのもしや、たのもしや。 干し飯一斗・古酒一筒・ちまき・あおざし(お菓子の一種)・たけのこ、方々の物、…
建治4年(ʼ78)2月13日 57歳 松野六郎左衛門 種々の物、送っていただき確かに頂戴しました。山中の住まいの事、思いやっていただき、雪の中ふみ分けて訪ねてくださった御志は、きっと法華経・十羅刹もお存知の事でありましょう。 さて、涅槃経には「人命のと…
先に本文そのままを載せてみました。そのあと通解をまとめて載せますね。 鎌倉時代の言葉は簡潔でかっこいいと思いませんか。私は好きですね~覚えやすいしね~候(そうろう)とか給え(たまえ)とか慣れてしまえば、そのままの御書でも理解できるようになれ…
「世界広布の翼を広げて 教学研鑽のための観心本尊鈔」やっと読み終えて、どうしたものかと考えておりました。 この前まで、このブログに観心本尊鈔の本文を現代の言葉にして載せていましたが、いい本が最近出ていますので、敢えて中断いたしました。 そこで…
建治2年(ʼ76) 55歳 松野六郎左衛門 昔、過去の古、珊提嵐国(さんだいらんこく)という国があった。その国に大王がいて、無諍念王(むじょうねんおう)といった。その王に千の王子がいた。また彼の王の第一の大臣を宝海梵志(ほうかいぼんじ)といった。そ…
どうしてもこの身は空しくに山野の土と成ってしまう。惜しんでもどうしようもない。惜しんでも惜しみ遂げることはできない。人はいくら長く生きたとしても百年を過ぎることはない。その間のことはただ一睡の夢である。受けがたい人身を得て、たまたま出家す…
さて、昔ひとりの人がいて雪山と申す山に住んでいた。その名を雪山童子という。わらびを採り、木の実を拾って命をつなぎ、鹿の皮で着物と作って肌をかくし、静かに仏道を行じていた。 この雪山童子が思っていたのは、「よくよく世間を観ずるに、生死無常の道…
このように法門を尋ねられることは、誠に後世を願われているからであろう。「よくこの法を聴く者は、ごく稀(まれ)にしか存在しない」といって、この経は正しき仏の使いが世に出なければ、仏の御本意のようには説き難いうえ、この経のいわれを問い尋ねて、…
建治2年(ʼ76)12月9日 55歳 松野六郎左衛門 <大要> 松野殿が題目の功徳の勝劣有無を質問したのに対して答えられた御消息です。(すごい、勇気ある質問した!ほんま、ええ質問です。初心の人には是非聞きたいってところやね。) まず、経釈を引用され、十…