2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
第四 「与如来共宿(よにょらいぐしゅく)(如来とともに宿す)」の事 御義口伝に云わく、法華の行者は、男女共に「如来」なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「与如来共宿」の者なり。傅大士(ふだいし)…
法師品十六箇の大事第一 「法師」の事 御義口伝に云わく、「法」とは、諸法(あらゆる現象)である。「師」とは、諸法直ちに師と成るのだ。森羅三千の諸法が直(ただ)ちに師となり、弟子となるべきなのである。 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る…
人記品二箇の大事第一 「学・無学」の事 御義口伝に云わく、「学」とは、【これから勉強すべき】無智の者をいう。「無学」とは、【学問の修行が終了した】有智の者をいう。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「学・無学」の人に、「如我等無異…
(新版御書1025頁) 第三 「身心遍歓喜(身心はあまねく歓喜す)」の事 御義口伝に云わく、「身」【身が歓喜する】とは、生死即涅槃ということである。「心」【心が歓喜する】とは、煩悩即菩提ということである。「遍」とは、十界同時であることである。「歓…
新版御書だけ載せます。 五百弟子品三箇の大事第一 「衣裏(えり=衣の裏)」の事 御義口伝に云わく、この品には無価の宝珠を衣の裏に繫(か)くることを説くなり。詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、一乗妙法の智宝(御本尊)を信…
第七 「皆共至宝所(皆共に宝所に至る)」の事 (新版) 御義口伝に云わく、「皆」とは、十界なり。「共(ぐ)」とは、「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」なり。「至」とは、極果(ごっか=仏界)の住処なり。「宝所」とは、霊山なり。日…
(説明) これは化城喩品に「その時に導師、この人衆の、既に止息することを得て、復疲惓(ひげん)無きを知って、即ち化城を滅して、衆人に語って、汝等(なんだち)、去来宝処は近きに在り。向(さき)の大城は我が化作(けさ)するところなり。止息せんが…
今年の1月にオーディブルで聞いた「線は、僕を描く」という本が、当時、私のツボにハマりまして、こんな繊細な表現の文章久しぶりだなと思って、毎夜、寝る前に聞き入ってとてもいい寝心地でした。この前もまた二回目聞いたくらいです。 砥上裕将という方が…
(説明)三千塵点劫の昔に大通智勝仏という仏がおり、その仏は出家する前は王様であって、十六人の王子がいた。そして王子たちは皆大通智勝仏から法華経の説法を受け、やがて八方の国土に生じて成仏したということについての御義口伝です。 第五 「十六王子…
(説明)ここは第三諸母涕泣の事の通解で引用した化城喩品の文の中に、「其祖転輪聖王・・・・」とあるところの御義口伝である。 第四 「其祖転輪聖王(その祖、転輪聖王)」の事 御義口伝に云わく、本地身の仏とは、この文を習うなり。「祖」とは、法界の異…
説明:「その仏、未だ出家したまわざりし時に、十六の子あり、その第一をば名を智積(ちしゃく)という。諸子、各々種種の珍異玩好の具あり。父、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たもうと聞いて、皆所珍を捨てて仏所に往詣す。諸母、涕泣して、随いてこ…
第二大通智勝仏の事(全集732頁) 御義口伝に云く大通は心王なり智勝は心数なり大通は迹門智勝は本門なり大通智勝は我等が一身なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は大通なり題目を唱うるは智勝なり、法華経の行者の智は権宗の大智よりも百千万…
下の方に全集を現代語に訳していますので、それを参考にして新版御書を読んでもらえるとうれしいです。 化城喩品七箇の大事 第一 「化城」の事 御義口伝に云わく、「化」とは色法なり、「城」とは心法なり。この色心の二法を無常と説くは、権教の心なり。法…
以前よくうちの娘たちと話したのは、座談会の御書講義が大白蓮華を読むだけのつまらない講義であるということでした。その時の地区部長や常勝長(ブロック長)に不満が多かったです。たまに新聞に載ってる講義を抜粋して読まれたりもしますが、もっと自分の…
今月の御書は報恩抄ですね。この御書は結構長いんですが、37頁もある!その最後から2頁目の終わりあたりから、今回の座談会御書に抜粋されています。 日蓮大聖人御書十大部講義の第五巻「報恩抄」、序は池田先生と、今は亡き日達猊下が書かれています。日達…
第三 「捨是身已(しゃぜしんい=この身を捨て已(お)わる)」の事 御義口伝に云わく、※この文段より捨・不捨の起こりなり。※ (※大目犍連がその身を捨て終わって、八千、また二百万憶の諸仏世尊を見奉ることができた。すなわち成仏したと説くこの段から捨…
第二 迦葉光明の事 御義口伝に云わく、「光明(こうみょう)」とは、一切衆生の相好(そうごう=姿・形)なり。「光」とは、地獄の灯燃猛火(とうねんみょうか=煩悩に焼かれることをあらわし地獄の苦悩を意味する)、これ即ち本覚自受用の智火のことでもある…
本文がちょっと違うようなので、講義録のある御書全集から載せてます。 釈迦御所領御書 「是れ我が有なり(三界は我が所有するところのものである)。其の中の衆生は悉く是れ吾子なり」等云云、この文のごとくならば・この三界は皆釈迦如来の御所領である。…
小蒙古御書 弘安4年(ʼ81)6月16日 60歳 小蒙古の人、大日本国に寄せ来るのこと。我が門弟ならびに檀那等の中に、もしは他人に向かい、はたまた自ら言語に及ぶべからず。もしこの旨に違背せば、門弟を離すべき等の由、存知せるところなり。この旨をもって人…
授記品四箇の大事第一 「授記」の事 文句の七に云わく「『授』は、これ与の義なり」。 御義口伝に云わく、「記」とは、南無妙法蓮華経なり。「授」とは、日本国の一切衆生なり。不信の者には授けざるなり、また、これを受けざるなり。今、日蓮等の類い、南無…