御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 普門品五箇の大事 第一 全775頁  新1079頁

普門品五箇の大事
第一 「無尽意(むじんに)菩薩」の事

 

普賢品第二十五の発起衆である無尽意菩薩についての御義口伝です。


  御義口伝に云わく、「無尽意」とは、円融の三諦をあらわす。「無」とは空諦、「尽」とは仮諦、「意」とは中道である。「観世音」とは、「観」は空諦、「世」は仮諦、「音」は中道で、円融の三諦をあらわす。「妙法蓮華経」とは、「妙」とは空諦、「法蓮華」とは仮諦、「経」とは中道でやはり円融の三諦である。

【この普門品第二十五の説法は、妙法蓮華経という】三諦法性の妙理を、三諦の「観世音」と三諦の「無尽意」に対して説いたのである。【すなわち観世音も無尽意も、その実体は三諦円融の南無妙法蓮華経の生命活動をあらわしているのである。】

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、末法の「無尽意【菩薩】」である。所詮、「無」とは、我らが死の相(姿)である。「尽」とは、我らが生の相(姿)である。「意」とは、我らが命根(生命の本質)である。
  しかるあいだ、一切の法門、境智冥合等の法門、「意」の一字にこれを摂入す(=含まれてしまう)。この「意」とは、中道法性である。法性とは、南無妙法蓮華経である。

よって、「意」は妙法蓮華経の五字をあらわす。我らが胎内の五段階の形成の中では、第五番の形にあたる。その故は、第五番の姿は(地水下風空の)五輪であり、五輪は即ち妙法蓮華経の五字に通ずるからである。この妙法蓮華経の五字は、また「意」の一字であらわされる。仏意すなわち仏の生命とは、妙法の五字であり、それ以外の何物でもない。

仏意(すなわち仏の生命)とは、法華経であり御本尊である。これを寿量品第十六にして「是好良薬(この好き良薬)」すなわち、三世の諸仏が好むところの良薬と説かれている。森羅三千の諸法(宇宙の万法)は、すべて「意」の一字に収まってしまう。この仏の意を信ずるのを、信心というのである。したがって、心は(十界三千の種種の姿をとって現れるが)ともに妙法の全体に含まれるのである。

 

<講義より>

観世音とは、社会の動向、趨勢を観ずる生命の働きである。無尽意とは、自己自身の哲学であり、思想である。その根本の当体は妙法であり、信の一字になる。そして、観世音菩薩は娑婆世界に縁の深い菩薩として、古来、厚く信仰されてきたが、日蓮大聖人は「寿量品の残りカスである」と申されたのである。

(以下の講義はまた時間のあるときにUPしたいと思います。)