2023-01-01から1年間の記事一覧
13日から風邪をひいてなかなかブログ更新ができませんでした。まだ、咳や鼻水と戦っている最中ですが、峠は越えてると確信して、ちょっとだけ御義口伝の次のところを載せておきます。 言論未訖(ごんろんみこつ)とは無明即法性ということだそうです。 無明…
第六 「年始八歳(年始めて八歳)」の事 御義口伝に云わく、「八歳」とは、八巻なり。提婆は地獄界なり、竜女は仏界なり。しかるあいだ、十界互具・百界千如・一念三千なり。 また云わく、「八歳」とは、法華経八巻なり。我ら八苦の煩悩なり。総じて、法華経…
第五 「我於海中唯常宣説妙法華経(我は海中において、ただ常に妙法華経のみを宣説す)」の事 御義口伝に云わく、「我」とは、文殊(文殊師利菩薩のこと)である。「海」とは、生死の海のことである(生死の苦しみの海であり、九界で説いたことになる)。「…
第二 「若不違我、当為宣説(もし我に違わずんば、当にために宣説すべし)」の事 御義口伝に云わく、妙法蓮華経を宣説すること、汝は我に違わずして宣説すべしということなり。「若」の字は汝(なんじ)なり。天台云わく「法を受けて奉行す」。今、日蓮等の…
提婆達多品八箇の大事第一 「提婆達多」の事 文句の八に云わく「本地は清涼にして、迹に天熱を示す」。 御義口伝に云わく、「提婆」とは、本地は文殊なり。「本地は清涼なり」というからである。迹には提婆と云う(垂迹として悪逆の提婆の姿をとったのである…
第二十 「此経難持(この経は持ち難し)」の事 この言葉「此経難持」はこの品の第十四にも出てきましたね。 今回で宝塔品二十箇の大事はおしまいです。 御義口伝に云わく、この経文にて三学(戒・定・慧)を俱(とも)に伝えるのである。「虚空不動戒(戒壇…
第十八 「是諸天人 世間之眼(これ諸の天・人の世間の眼なり)」の事 御義口伝に云わく、「世間」とは、日本国(全世界をさす)なり。「眼」とは、仏知見なり。法華経は諸天世間の眼目なり。眼とは南無妙法蓮華経なり。「是諸天人 世間之眼」。また云わく「是…
第十六 「読持此経(この経を読み持つ)」の事 御義口伝に云わく、五種の修行の「読誦」と「受持」との二行なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「読」なり。この経を持つは、「持」なり。「此経」とは、題目の五字なり云々。 <講義の抜粋…
第十四 「此経難持(この経は持ち難し)」の事 御義口伝に云わく、この法華経を持つ者は、難に値わんと心得て持つなり。されば、「則為疾得 無上仏道(則ちこれ疾く無上の仏道を得ん)」の成仏は、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る、これなり云々…
第十三 「若有能持 則持仏身(もし能く持つことあらば、則ち仏身を持つ)」の事 御義口伝に云わく、法華経を持ち奉るとは、我が身は仏身なりと持つことである(自分は仏であると確信することである)。「則」の一字は生仏不二である(衆生も仏も別のものでは…
第十二 「譬如大風 吹小樹枝(譬えば大風の小樹の枝を吹くがごとし)」の事 御義口伝に云わく、この偈頌の「如清涼池(清涼の池のごとし)」と「譬如大風(ひにょだいふう)」と「燃大炬火(ねんだいこか=大いなる炬火を燃す)」とは三身(法報応の三身)を…
釈尊が宝塔を開くところです。「ここに釈迦牟尼仏、右の指をもって七宝塔の戸を開きたもう。大音声をいだすこと、関鑰(けんやく)を却(さ)けて大城の門を開くが如し」と述べられているところの御義口伝です。 第十 「如却関鑰開大城門(関鑰を却けて、大…
<説明>仏が白毫の光を東方に放ち、また南西北方、四方、十方を照らすのである。宝塔品には、「南西北方、思惟上下、白毫相の光の、所照のところもまたまた核のごとし」とある。その光の行くところ、いたるところで十方分身の諸仏が説法している姿がある、…
<説明>宝塔品で大楽説菩薩が仏に宝塔のことについて質問し、仏がこの宝塔の中には多宝如来という仏がいるのだと説明したところです。 第六 「国名(こくみょう)宝浄。彼中有仏(ひちゅううぶつ)、号曰多宝(ごうわつたほう)(国を宝浄と名づく。彼の中…
<説明>多宝如来が宝塔の中から大音声を出して、釈尊の説法の真実なるを証明するところです。すなわち宝塔品には「その時に宝塔の中(うち)より、大音声を出して歎じてのたまわく、善きかな、善きかな、釈迦牟尼世尊、所説のごときは、皆是れ真実なり」と…
池田先生の御義口伝講義、大白蓮華に連載されていたものは、これからも当分続くのかしらと期待しています。すぐになくなるとは思えないですね。先生が大事なことは全部言い残されていそうな気がしています。 私がぼちぼち御義口伝をこのブログに書いていても…
第二 「有七宝(うしっぽう=七宝有り)」の事 御義口伝に云わく、「七宝」とは、聞・信・戒・定・進・捨・慙なり。また云わく、頭上の七穴なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「有七宝」の行者なり云々。 <語句の説明> ※聞・信・戒・定…
友情~平尾誠二と山中伸弥 「最後の一念」~ ~奇跡を信じた2人の最後の闘い~ 11日のテレビ放映のとき知らなかったので、今日Tverで見ました。 始まってすぐからずっと最後まで泣きながら見てしまいました。 俳優の本木雅弘さんと滝藤賢一さんが、実際のご…
現代語に変えたり、説明したり、読みやすいようにしておきます。 第一 「宝塔」の事 (ここは「見宝塔」という題名の説明です。) 文句の八に云わく「前仏(多宝仏のこと)はすでに存在し、今仏(釈迦仏)も並び座す。当仏(未来の仏)もまたそうである」。 …
第十六 「得見恒沙仏(恒沙の仏を見たてまつることを得)」の事 御義口伝に云わく、「見恒沙仏」とは、「見宝塔」ということなり。「恒沙仏」とは、「多宝」のことなり。多宝の「多」とは法界なり、「宝」とは一念三千の開悟なり。法界を多宝仏と見るを、「…
第十二 「若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護(もし人、悪・刀杖および瓦石を加えんと欲せば、則ち変化の人を遣わして、これがために衛護と作さん)」の事 御義口伝に云わく、「変化人」とは、竜の口守護の八幡大菩薩なり。 今、日蓮等の類い、南…
こういう言葉を子供の時に知っていればよかったなと思いましたね~ 68歳で初めて聞いたって言ったら遅すぎますかね。 藤井聡太さんの影響もあったんですが、今回、昔から好きだった将棋をやりたいと言ったら、次男が任天堂スイッチの詰将棋ができるソフトを…
第十 「若説此経時 有人悪口罵 加刀杖瓦石 念仏故応忍(もしこの経を説かん時、人有って悪口し罵り、刀杖瓦石を加うとも、仏を念ずるが故に応に忍ぶべし)」の事 御義口伝に云わく、「此経」とは、(南無妙法蓮華経の)題目なり。「悪口」は、口業(くごう)…
第八 「欲捨諸懈怠 応当聴此経(諸の懈怠を捨てんと欲せば、応当(まさ)にこの経を聴くべし)」の事 御義口伝に云わく、「諸懈怠」とは、四十余年の方便の経教である。ことごとく皆懈怠の経になる。「此経」とは、(南無妙法蓮華経の)題目である。今、日蓮…
第七 「衣」「座」「室」の事 御義口伝に云わく、「衣」「座」「室」とは、法・報・応の三身なり。空・仮・中の三諦、身・口・意の三業なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、この三軌を一念(自らの命の中)に成就するなり。「衣」とは、「…
第四 「与如来共宿(よにょらいぐしゅく)(如来とともに宿す)」の事 御義口伝に云わく、法華の行者は、男女共に「如来」なり。煩悩即菩提・生死即涅槃なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「与如来共宿」の者なり。傅大士(ふだいし)…
法師品十六箇の大事第一 「法師」の事 御義口伝に云わく、「法」とは、諸法(あらゆる現象)である。「師」とは、諸法直ちに師と成るのだ。森羅三千の諸法が直(ただ)ちに師となり、弟子となるべきなのである。 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る…
人記品二箇の大事第一 「学・無学」の事 御義口伝に云わく、「学」とは、【これから勉強すべき】無智の者をいう。「無学」とは、【学問の修行が終了した】有智の者をいう。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「学・無学」の人に、「如我等無異…
(新版御書1025頁) 第三 「身心遍歓喜(身心はあまねく歓喜す)」の事 御義口伝に云わく、「身」【身が歓喜する】とは、生死即涅槃ということである。「心」【心が歓喜する】とは、煩悩即菩提ということである。「遍」とは、十界同時であることである。「歓…
新版御書だけ載せます。 五百弟子品三箇の大事第一 「衣裏(えり=衣の裏)」の事 御義口伝に云わく、この品には無価の宝珠を衣の裏に繫(か)くることを説くなり。詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、一乗妙法の智宝(御本尊)を信…