御書大好き!!

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御義口伝 人記品 全796頁 新1109頁

   一、人記品
  御義口伝に云わく、この品には学・無学の聖者来って成仏するなり。既に妙法頂戴の学・無学なれば、十界互具・三千具足の学・無学なり。妙法の学・無学なるが故に、不思議の十界に煩悩いまだ尽くさざるなり。蓮華の学・無学なれば、十界三千、清浄の開落なり。この学・無学は何物ぞや。

<通解>

この品は授学無学人記品第九といい、下根の阿難、羅喉羅(らごら)をはじめとして、学無学の二千人に授記したことを明かしている。学とは、まだ真理を修学している者の意で、声聞の四果の中の、預流・一来・不還(ふげん)の前三果の人々をさす。無学とは、惑を断尽して、この上もはや学ぶ必要のない者のことで、阿羅漢果の人である。

御義口伝には次のように仰せである。

この品においては、学・無学の声聞の四果の聖者たちが、会座に来て記別を受け、成仏するのである。この学・無学の人々は、すでに妙法を受持した学・無学であるから、十界互具・三千具足の学・無学である。妙法の学・無学であるから、その生命は十界互具、三千具足であり、煩悩を断尽するのではなく、煩悩はそのまま菩提と転じていくのである。蓮華の学・無学であるから、彼らが授記されたということは、十界三千が清浄に仏性を開悟し、仏界に照らされた清浄な活動となっていくことを表すのである。

この学・無学とは何か。即ち御義口伝上(708頁)に「妙とは法性なり、法とは無明なり、無明法性一体なるを妙法というなり」とあるように、学は煩悩未断の前三果であるから無明であり、妙法の法になる。無学は断尽した阿羅漢果であるから、法性であり、妙法の妙となる。即ち、学・無学の授記とは、無明即法性をあらわし、南無妙法蓮華経をいうのである。