御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 提婆達多品八箇の大事 第七 新1039

13日から風邪をひいてなかなかブログ更新ができませんでした。まだ、咳や鼻水と戦っている最中ですが、峠は越えてると確信して、ちょっとだけ御義口伝の次のところを載せておきます。

 

言論未訖(ごんろんみこつ)とは無明即法性ということだそうです。

無明と法性が一体不二としてある存在です。無明に支配された人生は不幸になっていく。題目をあげて無明を即法性と開いていく中にその人の無限の発展がある、と講義されています。

 

第七 「言論未訖(言論いまだ訖(お)わらず)」の事


  御義口伝に云わく、この文は無明即法性の明文なり。その故は、智積の難問の言いまだ訖わらざるに、竜女、三行半の偈をもって答うるなり。難問の意は別教の意なり、無明なり。竜女の答えは円教の意なり、法性なり。智積とは、元品の無明なり、竜女とは、法性の女人なり。よって、無明に即する法性、法性に即する無明なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「言論未訖」なり。「時」とは、上のことの末、末のことの始めなり。「時」とは、無明・法性同時の時なり。南無妙法蓮華経と唱え奉る時なり。

智積菩薩を元品の無明と云うことは、「不信此女(この女を信ぜず)」の不信の二字なり。「不信」とは、疑惑なり。疑惑を根本無明と云うなり。竜女を法性と云うことは、「我闡大乗教(我は大乗の教えを闡く)」の文なり。
  「竜女」とは、「竜」は父なり、「女」は八歳の娘なり。「竜女」の二字は、父子同時の成仏なり。その故は、「時竜王女(時に竜王の女)」の文これなり。既に「竜王女」と云うあいだ、「竜王」は父なり、「女」とは八歳の子なり。されば、女の成仏はこの品にあり。父の竜の成仏は序品にこれ在り。「有八竜王(八竜王有り)」の文これなり。しかりといえども、父子同時の成仏なり。序品は一経の序なる故なり。
  「又聞成菩提(また聞いて菩提を成ず)」とは、竜女が智積を責めたる言なり。されば、ただ我が成仏をば仏のみ御存知あるべしとて、「又聞成菩提 唯仏当証知(また聞いて菩提を成ずること、ただ仏のみ当に証知したもうべし)」と云えり。「苦衆生(苦の衆生)」とは、別して女人のことなり。この三行半の偈は、一念三千の法門なり。「遍照於十方(あまねく十方を照らしたもう)」とは、十界なり。
  殊には、この八歳の竜女の成仏は、帝王持経の先祖たり。人王の始めは、神武天皇なり。神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり。この葺不合尊は豊玉姫の子なり。この豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり。八歳の竜女の姉なり。しかるあいだ、先祖は法華経の行者なり。甚深、甚深云々。
  されば、この提婆の一品は、一天の腰刀なり。無明・煩悩の敵を切り、生死愛著の縄を切る秘法なり。漢高三尺の剣も一字の智剣に及ばざるなり。妙の一字の智剣をもって、生死・煩悩の縄を切るなり。
  提婆は火炎を顕し、竜女は大蛇を示し、文殊は智剣を顕すなり。よって、不動明王の尊形と口伝せり。提婆は我らが煩悩即菩提を顕すなり。竜女は生死即涅槃を顕すなり。文殊をば、ここには「妙徳」と翻ずるなり。煩悩・生死具足して当品の能化なり。