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題目弥陀名号勝劣時 111頁 新版御書797頁

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題目弥陀名号勝劣事

 文永元年(ʼ64) 43歳

 南無妙法蓮華経と申すことは唱えがたく、南無阿弥陀仏・南無薬師如来なんど申すことは唱えやすく、また文字の数のほども大旨は同じけれども、功徳の勝劣は遥かに替わりて候なり。
 天竺の習い、仏出世の前には二天三仙の名号を唱えて天を願いけるに、仏世に出でさせ給いては仏の御名を唱う。しかるに、仏の名号を二天三仙の名号に対すれば、天の名は瓦礫のごとし、仏の名号は金銀・如意宝珠等のごとし。また、諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠のごとくに侍るなり。
 しかるを、仏教の中の大小・権実をも弁えざる人師なんどが、仏教を知りがおにして、仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬えたる経文を見、また法華経の題目を如意宝珠に譬えたる経文と喩えの同じきをもって、念仏と法華経とは同じことと思えるなり。同じことと思う故に、また世間に貴しと思う人のただ弥陀の名号ばかりを唱うるに随って、皆人、一期の間、一日に六万遍・十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱えず。あるいは世間に智者と思われたる人々、外には智者気にて内には仏教を弁えざるが故に、念仏と法華経とはただ一つなり、南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあえり。これは一代の諸経の中に一句一字もなきことなり。たとい大師・先徳の釈の中より出でたりとも、かつは観心の釈か、かつはあて事かなんど心得べし。
 法華経の題目は、過去に十万億の生身の仏に値い奉って功徳を成就する人、初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き、始めて信を致すなり。諸仏の名号は、外道・諸天・二乗・菩薩の名号にあわすれば瓦礫と如意宝珠のごとくなれども、法華経の題目に対すればまた瓦礫と如意宝珠とのごとし。当世の学者は法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思い、また同じことと思えるは、瓦礫と如意宝珠とを同じと思い、一つと思うがごとし。
 止観の五に云わく「たとい世を厭う者も下劣の乗を翫び、枝葉に攀附し、狗の作務に狎れ、獼猴を敬って帝釈となし、瓦礫を崇めてこれ明珠なりとす。この黒闇の人、あに道を論ずべけんや」等云々。文の心は、たとい世をいといて出家遁世して山林に身をかくし、名利名聞をたちて一向後世を祈る人々も、法華経の大乗をば修行せずして権教下劣の乗につきたる名号等を唱うるを、瓦礫を明珠なんどと思いたる僻人に譬え、闇き悪道に行くべき者と書かれて侍るなり。
 弘決の一には、妙楽大師、善住天子経をからせ給いて法華経の心を顕して云わく「法を聞き謗を生じて地獄に堕つるは、恒沙の仏を供養する者に勝る」等云々。法華経の名を聞いてそしる罪は、阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱うるにも過ぎたり。されば、当世の念仏者の念仏を六万遍乃至十万遍申すなんど云えども、彼にては終に生死をはなるべからず。法華経を聞くをば「千中無一」「雑行」「未有一人得者」なんど名づけて、あるいは「抛てよ」、あるいは「門を閉じよ」

なんど申す謗法こそ、たとい無間大城に堕つるとも、後に必ず生死は離れ侍らんずれ。同じくは今生に信をなしたらば、いかによく候いなん。
 問う。世間の念仏者なんどの申す様は、「この身にて法華経なんどを破することは、いかでか候べき。念仏を申すも、とくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんがためなり」、また、あるいは云わく「法華経は不浄の身にては叶いがたし。恐れもあり。念仏は不浄をも嫌わねばこそ申し候え」なんど申すはいかん。
 答えて云わく、この四・五年のほどは、世間の有智・無智を嫌わず、この義をば「さなんめり」と思って過ぐるほどに、日蓮一代聖教をあらあら引き見るに、いまだこの二義の文を勘え出ださず。詮ずるところ、近来の念仏者ならびに有智の明匠とおぼしき人々の臨終の思うようにならざるは、これ大謗法の故なり。人ごとに、念仏申して浄土に生まれて法華経をさとらんと思う故に、穢土にして法華経を行ずる者をあざむき、また行ずる者も、すてて念仏を申す心は出で来るなりと覚ゆ。謗法の根本この義より出でたり。
 法華経こそ、この穢土より浄土に生ずる正因にては侍れ。念仏等は、未顕真実の故に、浄土の直因にはあらず。しかるに、浄土の正因をば極楽にして後に修行すべきものと思い、極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思うこと、僻案なり。浄土門は春沙を田に蒔いて秋米を求め、天月をすてて水月を求むるに似たり。人の心に叶って法華経を失う大術、この義にはすぎず。
 次に、不浄念仏のこと。一切の念仏者の師とする善導和尚・法然上人は、他事にはいわれなきこと多けれども、このことにおいてはよくよく禁められたり。善導の観念法門経に云わく「酒肉五辛を手に取らざれ。口にかまざれ。手にとり口にもかみて念仏を申さば、手と口に悪瘡付くべし」と禁め、法然上人は起請を書いて云わく「酒肉五辛を服して念仏申さば、予が門弟にあらず」と云々。不浄にして念仏を申すべしとは、当世の念仏者の大妄語なり。
 問うて云わく、善導和尚・法然上人の釈を引くは、彼の釈を用いるや否や。
 答えて云わく、しからず。念仏者の師たる故に、彼がことば己が祖師に相違するが故に、彼の祖師の禁めをもって彼を禁むるなり。例せば、世間の沙汰の、彼が語の彼の文書に相違するを責むるがごとし。
 問うて云わく、善導和尚・法然上人には何事の失あれば用いざるや。
 答えて云わく、仏の御遺言には、「我滅度して後には、四依の論師たりといえども、法華経にたがわば、用いるべからず」と、涅槃経に返す返す禁め置かせ給いて侍るに、法華経には我滅度して後末法に諸経失せて後殊に法華経流布すべき由、一所二所ならずあまたの所に説かれて侍り。したがって、天台・妙楽・伝教・安然等の義にこのこと分明なり。
 しかるに、善導・法然法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依って、仏も説かせ給わぬ我が依経の「読誦大乗」の内に法華経をまげ入れて、還って我が経の名号に対して「読誦大乗」の一句をすつる時、「法華経を抛てよ」「門を閉じよ」「千の中に一りも無し」なんど書いて侍る僻人をば、眼あらん人これをば用いるべしやいなや。 疑って云わく、善導和尚は三昧発得の人師、本地阿弥陀仏の化身、口より化仏を出だせり。法然上人は本地大勢至菩薩の化身、既に日本国に生まれては念仏を弘めて頭より光を現ぜり。いかでか、これらを僻人と申さんや。また善導和尚・法然上人は、汝が見る程の法華経ならびに一切経をば見給わざらんや。定めてその故これあらんか。
 答えて云わく、汝が難ずるところをば、世間の人々定めて道理と思わんか。これひとえに、法華経ならびに天台・妙楽等の実経・実義を述べ給える文義を捨て、善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて年久しくなりぬるが故に、思わするところなり。
 まず通力ある者を信ぜば、外道・天魔を信ずべきか。ある外道は大海を吸い干し、ある外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり。第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず。阿難尊者、なお魔と仏とを弁えず。善導・法然が通力いみじしというとも、天魔・外道には勝れず。その上、仏の最後の禁めに「通を本とすべからず」と見えたり。
 次に、善導・法然一切経ならびに法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑い、これまた謗法の人のためには、さもと思いぬべし。しかりといえども、如来の滅後には先の人は多分賢きに似て、後の人は大旨ははかなきに似たれども、また先の世の人の、世に賢き名を取ってはかなきもこれあり。
 外典にも三皇・五帝・老子孔子五経等を学びて賢き名を取れる人も、後の人にくつがえされたる例これ多きか。内典もまたかくのごとし。仏法、漢土に渡って五百年の間は、明匠国に充満せしかども、光宅の法雲、道場の慧観等には過ぎざりき。これらの人々は名を天下に流し、智水を国中にそ

そぎしかども、天台智者大師と申せし末の人、彼の義どもの僻事なる由を立て申せしかば、初めには用いず、後には信用を加えし時、始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えしなり。
 日本国にも、仏法渡って二百余年の間は、異義まちまちにして、いずれを正義とも知らざりしほどに、伝教大師と申す人に破られて、前二百年の間の私義は破られしなり。その時の人々も、当時の人の申すように「いかでか前々の人は一切経ならびに法華経をば見ざるべき。定めて様こそあるらめ」なんど申しあいたりしかども、叶わず。経文に違いたりし義どもなれば、終に破れて止みにき。
 当時もまたかくのごとし。この五十余年が間は、善導の「千中無一」、法然が「捨閉閣抛」の四字等は権者の釈なればゆえこそあるらんと思って、ひら信じに信じたりしほどに、日蓮法華経のあるいは「悪世末法の時」、あるいは「後の末世において」、あるいは「法をして久しく住せしむ」等の文を引きむかえて相違をせむる時、我が師の私義破れて疑いあえるなり。詮ずるところ、「後の五百歳」の経文の誠なるべきかの故に、念仏者の念仏をもって法華経を失いつるが、還って法華経の弘まらせ給うべきかと覚ゆ。
 ただし、御用心の御ために申す。世間の悪人は魚・鳥・鹿等を殺して世路を渡る。これらは罪なれども、仏法を失う縁とはならず。懺悔をなさざれば、三悪道にいたる。また魚・鳥・鹿等を殺して売買をなして善根を修することもあり。これらは世間には悪と思われて、遠く善となることもあり。仏教をもって仏教を失うこそ、失う人も失うとも思わず、ただ善を修すると打ち思って、またそばの人も善と打ち思ってあるほどに、思わざる外に悪道に堕つることの出来し候なり。当世には、念仏者なんどの、日蓮に責め落とされて、我が身は謗法の者なりけりと思う者もこれあり。
 聖道の人々の御中にこそ、実の謗法の人々は侍れ。彼の人々の仰せらるることは「法華経を毀る念仏者も不思議なり。念仏者を毀る日蓮も奇怪なり。念仏と法華とは一体のものなり。されば、『法華経を読むこそ念仏を申すよ、念仏申すこそ法華経を読むにては侍れ』と思うことに候なり」と、かくのごとく仰せらるる人々、聖道の中にあまたおわしますと聞こゆ。したがって、檀那もこの義を存して、日蓮ならびに念仏者をおこがましげに思えるなり。
 まず、日蓮がこれ程のことをしらぬと思えるは、はかなし。仏法漢土に渡り初めしことは後漢の永平なり。渡りとどまることは唐の玄宗皇帝開元十八年なり。渡れるところの経・律・論五千四十八巻、訳者一百七十六人、その経々の中に南無阿弥陀仏は即ち南無妙法蓮華経なりと申す経は一巻一品もおわしまさざることなり。その上、阿弥陀仏の名を仏説き出だし給うことは、始め華厳より終わり般若経に至るまで四十二年が間に所々に説かれたり。ただし阿含経をば除く。一代聴聞の者これを知れり。妙法蓮華経と申すことは、仏の御年七十二、成道より已来四十二年と申せしに、霊山にましまして無量義処三昧に入り給いし時、文殊弥勒の問答に過去の日月灯明仏の例を引いて「我は灯明仏を見たてまつりしに乃至法華経を説かんと欲するならん」と先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生法華経の御名をば聞き初めたりしか。
 三の巻の心ならば、阿弥陀仏等の十六の仏は、昔大通智勝仏の御時、十六の王子として法華経を習って、後に正覚をならせ給えりと見えたり。弥陀仏等も凡夫にておわしませし時は、妙法蓮華経の五字を習ってこそ仏にはならせ給いて侍れ。全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見えず。妙法蓮華経は能開なり、南無阿弥陀仏は所開なり。能開・所開を弁えずして、「南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よ」と物知りがおに申し侍るなり。
 日蓮幼少の時、習いそこないの天台宗真言宗に教えられて、この義を存して数十年の間ありしなり。これ存外の僻案なり。ただし、人師の釈の中に、一体と見えたる釈どもあまた侍る。彼は観心の釈か、あるいは仏の所証の法門につけて述べたるを、今の人弁えずして全体一つなりと思って、人を僻人に思うなり。御景迹あるべきなり。
 念仏と法華経と一つならば、仏の念仏説かせ給いし観経等こそ、如来出世の本懐にては侍らめ。彼をば本懐ともおぼしめさずして法華経を出世の本懐と説かせ給うは、念仏と一体ならざること明白なり。その上、多くの真言宗天台宗の人々に値い奉って候いし時、このことを申しければ、されば僻案にて侍りけりと申す人これ多し。あえて証文に経文を書いて進らせず候わん限りは、御用いあるべからず。これこそ謗法となる根本にて侍れ。あなかしこ、あなかしこ。
    日蓮 花押

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