御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 薬王品六箇の大事 第一 第二 全773 新1075

第一 「不如受持此法華経、乃至一四句偈(この法華経の乃至一四句偈を受持するにはしかず)」の事

 

これは薬王品第二十三の「もしまた人あって、七宝をもって三千大千世界を満てて、仏、および大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。この人の所得の功徳も、此の法華経の乃至一四句偈を受持する。其の福の最も多きにはしかじ」の文についての御義口伝である。


  御義口伝に云わく、「法華経」とは、一経二十八品である。「一四句偈」とは、南無妙法蓮華経の題目の五字と心得ていくべきである。

【南無妙法蓮華経を受持する功徳は、金、銀等の七宝をもって三千大千世界を満たし、それを仏、菩薩、辟支仏、声聞の聖者である阿羅漢に供養する功徳よりも、はるかに大きいとの意味である。】

 


第二 十喩の事

 

釈尊が宿王華菩薩に向かって、法華経の偉大さを、十喩をもって説くのである。】


  御義口伝には次のように言われている。

十喩とは、十界をあらわしている。【地獄は地の下五百由旬といわれるごとく、第二の喩えの】この「山」の下(もと)に地獄界を含めている。

「川流江河」に餓鬼・畜生をおさめている。【すなわち、河川は一切のものを吞み込み、飽きることを知らない様が餓鬼界の姿に通ずる。また、高きより低きへ、地形によって流れるのは、強きに従う畜生界をあらわす。】

 

「日月」のもとに修羅を収めている。【すなわち、修羅は日月の光を手でさえぎって日食や月食を起こすとされているからである。】

「帝釈・梵天」は、いうまでもなく天界の代表である。

四果辟支仏喩のところで「一切の凡夫人(ぼんぷにん)の中に」とある】「凡夫人」とは、人間である。

声聞とは、「四向四果の阿羅漢(小乗の声聞の位で修行によって8つに分けられる)」である。

縁覚とは、「辟支仏中(辟支仏の中)」と説かれている。菩薩は、「菩薩為第一(菩薩はこれ第一なり)」とある。仏界とは、「如仏為諸法王(仏はこれ諸法の王なるがごとく)」とあげられている。

【このように一往】この十界を十喩を挙げて教相を分別して【妙法蓮華経が最高であるとの教相を明らかにし】、【再往、観心より見れば今度は、】妙法蓮華経の「於一仏乗」から、この妙法に十界を具足していることを説き明かすために、十喩をあげたのである。したがってこの十喩は一念三千の法門である。【この一念三千の当体たる御本尊に、経の次下に「この経は能く一切衆生をして、諸の苦悩を離れしめたもう。此の経は、能く大いに一切衆生を饒益(にょうやく)して、その願を充満せしめたもう」とあるごとく、】一念三千は抜苦与楽の御力があるのである。