御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

新版御書に追加された御書⑥ 2154頁 2158頁 2160頁 2160頁

 人肉を食らわざれば、投身無用なり。今その中の勘文を取るに、法華経の実相は一同にこれを存ずといえども、その行儀、時に随って不定なるべし。故に、流通の諸品、品々なり。仏菩薩の意楽、時に随う故か。
 たとい悪にあらずといえども、小善をもって大善を防ぐは五逆罪に過ぐるなり。今の智者、万善を勧めしむるよりは、一大悪を治するにしかず。例せば、外道の九十五種のごとし。その所詮を取るに常楽我浄の四字なり。名は仏法の根本を得たるも、その義は即ち邪なり。仏世に出でて、まずこの悪を治す。正法を説かんがために、苦・無常等の四法を構えて彼の邪見を治す。
 今の世間は弥陀の名号の権法をもって円機を抑え、円経に進まざらしむ。名号の権悪を治せんがために、妙法蓮華経の実術を用いる。在世・滅後異なりといえども、正法を弘むるの心はこれ一なり。時に当たって秘術を得るか。

 

 

 追って申す。
 老病の上、不食気いまだ心よからざるゆえに、法門なんどもかきつけて申さずして、さてはてんこと、なげき入って候。また三島左衛門次郎がもとにて法門伝え候いけるが、始中終かきつけて給び候わん。それならず、いずくにても候え、法門をみ候えば、心のなぐさみ候ぞ。

 

 いのりなんどの仰せ、こうぼるべしとおぼえ候わざりつるに、おおせたびて候ことのかたじけなさ。かつはしなり、かつは弟子なり、かつはだんななり。御ためにはくびもきられ、遠流にもなり候え。かわることならば、いかでかかわらざるべき。されども、このことは叶うまじきにて候ぞ。
 大がくと申す人は、ふつうの人にはにず、日蓮が御かんきの時、身をすてて、かとうどして候いし人なり。この一代は城殿の御計らいなり。城殿と大がく殿は知音にておわし候。その故は、大がく殿は坂東第一の御てかき、城介殿は御てをこのまるる人なり。

 

同頁(443)

但楽受持御書

 とかくべし。阿弥陀経等の例時をよまずと申すは、これまた心えられず。阿弥陀経等は星のごとし、法華経は月のごとし日のごとし。勝れたる経をよみ候を、劣る経の者がせいしこそ心えられ候わねとかけ。恒例のつとめと申すはなにの恒例ぞ。仏の恒例は法華経なり。仏は「ただ楽って受持す」等とて、真の法華経の行者、阿弥陀経等の小経をばよむべからずとこそとかせ給いて候えとつめかきにかけ。