第六 「娑婆、是中有仏、名釈迦牟尼仏(娑婆、この中に仏有し、釈迦牟尼仏と名づけたてまつる)」の事
【ここは、神力品第二十一で、十神力の第七、空中唱声のところの文である。即ち、諸天が歓喜して「此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国有り、娑婆と名づく。この中に仏います。釈迦牟尼仏と名づけたてまつる」云云と述べた言葉についての御義口伝である。】
御義口伝に云わく、本化弘通の妙法蓮華経を大忍辱の力をもって弘通することを、「娑婆」というのである。「忍辱」は、寂光土である。この忍辱の心を、「釈迦牟尼仏」といったのである。「娑婆」とは、堪忍世界と訳すのである。
<講義より>
釈迦牟尼仏といっても、インド応誕の釈迦をさすのではなく、仏界という生命の働きをさしているのである。大忍辱の心は、即大慈悲の心であり、これを仏界というのである。末法今時の釈迦牟尼仏とは、文底の釈尊である日蓮大聖人であらせられる。日蓮大聖人こそ、いかなる障魔をも大忍辱の心をもって受けて立たれた御本仏であられる。
およそ妙法の弘通には必ず三類の強敵の妨害が競う。ゆえに日蓮大聖人の末弟として妙法を弘通する人は偉大なる忍辱の心がなくてはならない。
第七 「斯人行世間 能滅衆生闇(この人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅す)」の事
【神力品第二十一で、仏が上行等の菩薩に向かって偈を述べた「日月の光明の、能く諸(もろもろ)の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し」の文についての御義口伝である。】
御義口伝に云わく、「斯人」とは、上行菩薩である。「世間」とは、大日本国である。「衆生闇」とは、謗法の大重病である。「能滅」の体とは、南無妙法蓮華経である。今、日蓮等の類い(日蓮大聖人とその門下は)、この文にあたるのである。