御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

三沢抄の一節  全1487頁 新2010頁

たとい明師ならびに実経に値い奉って正法をえたる人なれども、生死をいで仏にならんとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲のあるがごとく、三障四魔と申して七つの大事出現す。たといからくして六つはすぐれども、第七にやぶられぬれば、仏になることかたし。

 

Even though one may encounter a wise  teacher and the true sutra and thereby embrace the correct teaching, when one resolves to break free from the sufferings of birth and death and attain Buddhahood, one will inevitably encounter seven grave matters known as the three obstacles and four devils, just as surely as a shadow follows the body and clouds accompany rain. Even if you should manage to overcome the first six, if you are defeated by the seventh, you will not be able to become a Buddha.   

 

inevitably:: 避けられない , 免れない; 必然的な , 当然の

 

7つ目が気になるので、次のところも載せておきますね。

 

 その六つはしばらくおく。第七の大難は天子魔と申すものなり。たとい末代の凡夫、一代聖教の御心をさとり、摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて、仏になるべきになり候いぬれば、第六天の魔王、このことを見て驚いて云わく「あらあさましや。この者、この国に跡を止むるならば、かれが我が身の生死をいずるかはさておきぬ、また人を導くべし。またこの国土をおさえとりて、穢土を浄土となす。いかんがせん」とて、欲・色・無色の三界の一切の眷属をもよおし、仰せ下して云わく「各々ののうのうに随って、かの行者をなやましてみよ。それにかなわずば、かれが弟子だんなならびに国土の人の心の内に入りかわりて、あるいはいさめ、あるいはおどしてみよ。それに叶わずば、我みずからうちくだりて、国主の身心に入りかわりておどしてみんに、いかでかとどめざるべき」とせんぎし候なり。