御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

神力品の講義の続き 法華初心成仏抄の最後

【神力品第一の講義より、神とは諸天善神、というところで、この原理を法華初心成仏抄には次のように示されている。】

 

新版御書703頁 全集557頁

およそ妙法蓮華経とは、我ら衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連等の仏性と、文殊弥勒等の仏性と、三世の諸仏の解りの妙法と一体不二なる理を、妙法蓮華経と名づけたるなり。

故に、一度妙法蓮華経と唱うれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神、乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、一切衆生の心中の仏性をただ一音に喚び顕し奉る功徳、無量無辺なり。

 

(以上が講義にあった御書です。以下は続きのところですが、馴染みのある御書かなと思うので一緒に載せておきます。)

 


 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給うところを仏とは云うなり。譬えば、籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空とぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出でんとするがごとし。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれて我らを守り給う。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給う。されば、「もししばらくも持たば、我は則ち歓喜す。諸仏もまたしかなり」と説き給うは、この心なり。されば、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字をもって仏に成り給いしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云うは、これなり。
 これらの趣を能く能く心得て、仏になる道には、我慢・偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱え奉るべきものなり。

 

 

【法華初心成仏抄はまだブログに書いてなかったので、書きたいと思っていました。乞うご期待】