第五 「諸余怨敵、皆悉摧滅(しょよおんてき、かいしつさいめつ=諸余の怨敵は、みな摧滅す)」の事
先の文に続いて「汝今すでに能く諸の魔賊を破し、生死の軍(いくさ)を壊(え)し、諸余の怨敵皆悉(ことごと)摧滅せり」との文に対する御義口伝である。
御義口伝に云わく、「怨敵(おんてき)」とは、念仏・禅・真言等の謗法の人である。「摧滅」とは、「法華の折伏は権門の理を破す」ことである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え実践しているのがこれにあたる。
第六 「若人有病、得聞是経、病即消滅、不老不死(もし人病有らんに、この経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん)」の事
天台の法華文句の十には「これすべからく観もて解すべきなり」とある。【すなわち、法華経の観心の智解、末法においては信解によって病を治す法をとるのである。】
御義口伝に云わく、「若人」とは、上は仏果より下は地獄の罪人まで十界すべての人を含める。「病」とは、三毒の煩悩である。仏菩薩においても、またこれ有るのである。「不老」は釈尊、「不死」は地涌の類いである。
これは滅後当今の衆生のために説かれたのである。したがって、「病」とは謗法をさす。この経を受持し奉る者は、「病即消滅」疑いない。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱える者は、これである。
<講義より>
不老とは、常に若々しい生命力を発揮して活躍していけることである。不死とは、永遠の生命を自覚して、大福運を積んでいくことである。
仏や菩薩にも病はある。悩みもある。経文には少病少悩とある。
不幸の根源は謗法である。謗法による病は一番重い。