「身軽法重死身弘法御書」とも言います。弘長元年四月二十八日鎌倉で椎地四郎に与えられたお手紙です。大聖人にしばしばお会いして四条金吾や富木常忍とも親交があったようです。有名な一節「大難来たりなば強盛の信心いよいよ悦びをなすべし」と言われています。後半がすごくカッコよくて大好きなんです。色紙に書いて引っ越される友達に贈ったことがあります。
法華経の「如渡得船」の文を引いて妙法蓮華経が一切衆生を成仏の彼岸へ運ぶ大法であることを明かされています。御書は1頁と3行という短めの文なので、後半のかっこいいところの本文を載せておきます。
抑(そもそも)法華経の如渡得船の船と申す事は・教主大覚世尊・巧智無辺の番匠として四味八教の材木を取り集め・正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ・醍醐一実のくぎを丁と・うつて生死の大海へ・をしうかべ・中道一実のほばしらに界如三千の帆をあげて・諸法実相のおひてをえて・以信得入の一切衆生を取りのせて・釈迦如来はかぢを取り・多宝如来はつなでを取り給へば・上行等の四菩薩は函蓋相応して・きりきりとこぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、能く能く信じさせ給へ、四条金吾殿に見参候はば能く能く語り給い候へ
この直前の御文になりますが、日めくり御書にありましたので、英文とともに載せようと思います。
貴辺すでに俗なり善男子の人なるべし、此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし、妙楽大師云く「一句も神に染ぬれば咸く彼岸を資く、思惟・修習永く舟航に用たり」と云云、生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず。
You are already a lay practitioner and therefore one of the "good men" described in the sutra.One who listens to even a sentence or phrase of the sutra and cherishes it deep in one's heart may be likened to a ship that crosses the sea of the sufferings of birth and death. The Great Teacher Miao-lo stated,"Even a single phrase cherished deep in one's heart will without fail help one reach the opposite shore.To ponder one phrase and practice it is to exercise navigation." (太字にしたところの英訳です)
本文の内容をもっと知りたい方は講義33巻67頁~69頁を参照してください。
#Gosho written to Shiiji Shiro
#A Ship to Cross the Sea of Suffering