御書大好き!!

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第六 導師何故(どうしがこ)の事  全     新991頁

第六 「導師何故(導師は何が故ぞ)」の事
  疏(じょ=ここでは天台の法華文句第三)に云わく「良(まこと)に(おも))んみれば、説法・入定して能く人を導けば、既に『導師』と称す」。
  御義口伝に云わく、この「導師」は、釈尊の御事なり。「説法」とは無量義経、「入定」とは無量義処三昧に入りたもうことなり。
  詮ずるところ、「導師」において二つあり。悪の導師、善の導師これ有るなり。悪の導師とは、法然・弘法・慈覚・智証等なり。善の導師とは、天台・伝教等これなり。末法に入っては、今、日蓮等の類いは、善の導師なり。「説法」とは南無妙法蓮華経、「入定」とは法華受持の決定心に入ることなり。「能く人を導く」の「能」の字、心を留めてこれを案ずべし。涌出品の「唱導之師(唱導の師)」と同じことなり。詮ずるところ、日本国の一切衆生を導かんがために説法する人、これなり云々。(すなわち日蓮大聖人がこれなのである。)

 

わかりやすい御義口伝なので、説明は省きます。