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信解品六箇の大事 第二「捨父逃逝(父を捨てて逃逝す)」の事  新版1012頁~1013頁

第二 「捨父逃逝(しゃぶじょうぜい)(父を捨てて逃逝す)」の事
  

★ここは有名な窮子の譬えのところで、金持ちの息子が父を捨てて逃げ去ったことを述べている。経文には「たとえば人あって年すでに幼稚にして、父を捨てて逃逝(じょうぜい)し、久しく他国に住して云云」とある。この個所の御義口伝になります。

 

(本文)

文句の六に云うには「『捨父逃逝』とは、大(大乗)を退するを『捨』となし【一仏乗の教えから退転することを捨(しゃ)という】、無明自ずから覆うを『逃』と曰い【無明惑がいのちを覆っている状態を逃(じょう)とたとえたのであり、】、生死に趣向するを『逝』となす【生死の苦しみにおもむくことを逝去(ぜい)といったのである。」。
  御義口伝に云わく、「父」において三つの読み方がある。法華経釈尊日蓮がこれである。法華経は一切衆生の父である。この父に背くが故に、流転の(九界をさまよう)凡夫となる。釈尊は一切衆生の父なり。この仏に背くが故に、つぶさにもろもろの悪道を輪廻(りんね)したのである。

今、日蓮は日本国の一切衆生の父である。章安大師は「彼(民衆)のために悪を除くひとこそ、即ちこれ真の親である」と言っている。「大を退する」の「大」は、南無妙法蓮華経のことである。「無明」とは、疑惑という謗法である。「自ずから覆う」とは、法然・弘法・慈覚・智証・道隆・良観等の悪比丘(悪坊主どもが)、自分の謗法の失(とが=罪悪)をほしいままに覆いかくしてる状態をいうのである。

 

<講義より>

正法を知らず、折伏の悪口をいう者は一切衆生の怨となることを知るべきである。

大聖人の仏法に背くものは六道輪廻し、三界六道の世界を生死生死と不幸な姿でめぐるのである。

 

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