御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

弁殿御消息 1225頁 55歳御作

身延から日昭に送られたお手紙。ご真蹟は京都の本能寺に現存する。

一紙の中に多くの要件を書こうとされたので紙幅の尽きた分は紙の端、行間を利用して書き継がれている。手紙の裏に書き付けた真言の表等とともに身延での生活の一端がわかる。本抄はこまごまとした現実問題についてのご指示の書で、もとよりその中に、身延にありながらつかの間の休みもない激闘のご生活を拝するのであるが、仏法の法門の教示はない。その中でこの文は仏法の祈りのあり方について教えられたものとして重要な一節である。大聖人は弟子である、河辺入道等のために祈っておられるのである、このように人のために祈る場合、その祈られる側の人も同じ心でなければ、たとい御本仏の祈りといえども通じないということである、仏法はあくまで本人の意志、心を根本にするのであって、ここに全智全能の神を立てる既存の諸宗教と異なる人間主義の基盤がある。

同様に一人の心の中においても二つの心があったならばその祈りは成就しない。異体同心事に「一人の心なれども二つの心あればその心違いて成ずる事なし」と言われている通りである。二つの心があるとは、一方では祈りながらも、疑いの心があったり、あるいは現実になすべき努力をしなかったり、という場合がそれである。あらゆる心がその目指す目的に向かって一致していることが、祈りを成就するための肝要であることを知らなければならない。      (以上 講義より抜粋)