御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2021年7月度 座談会御書 富木尼御前御返事 講義

今日のお昼ごはんを食べたあと、急に思いついたのです。

私が富木尼御前になって話をするっていうのが、一番いいかもしれないと。

今回、久しぶりに地区で座談会御書を頼まれたので、毎日どうやって面白く感動的に、

皆にわかってもらえるか、って考えていっぱい調べてきました。2週間ぐらい毎日毎日、富木殿と富木尼と1276年という時代背景、元寇の話、いっぱい書きだしました。

7分という時間制限があって、会館とリモートと両方でやるので40分くらいで終わるつもりだったのかな?終わったのは8時半くらいだったかな?会場参加者は11人かな。リモートはわかりませんが。

とにかく私が考えた講義は大白を閉じてくださいというところから始まって、富木尼になりきった私が、身の上話のごとく結婚前から今回のお手紙を大聖人からいただくまでの話をさせていただきました。その中で富木常忍のことや、いつ大聖人に帰依したとか、その他入れ込むことにしたのです。思惑通りスポットライトを富木尼に当てたので、あちこち話が分散しなくてよかったと思います。

そして、お手紙を現代文で書き直して印刷して数枚配って見たい人には見ながら聞いてもらいました。短い御書でしたから4分くらいで読めました。読み終わってから最後の座談会御書のところの感想を1分くらいしゃべって終わりました。

あんな方法もあるんやな、新しい御書講義やなと思ったそうです。自分たち壮年も工夫がいるなと。地区部長に御書講義のローテーションに●●さんも入れるから、またやってねと言ってもらえました。喜んでやりますけど~・・・御書大好きなんで!!

   ★   ★   ★   ★   ★ 座談会での原稿です。

今日は大白を読まないので閉じといてもらっていいと思います。

さて、今日は私が富木尼御前です。そのつもりで聞いてください。

私は以前、富士宮市北山という所に住んでおりました。

最初の夫との間に息子と娘がおりましたが、夫が戦死してしまい嘆き、悲しんでおりました。そんなとき、千葉県市川市に住む富木殿という立派なお侍さんと、再婚することになりました。富木殿もお嫁さんを病気で亡くされたそうで、お互いに慰めあいながら、また、新しい人生の出発のため再婚いたしました。建長5年(1253年)大聖人様が立宗宣言されたあと、しばらくして私たち夫婦は大聖人様に帰依いたしました。南無妙法蓮華経というお題目で生きていても成仏、死んだ人も成仏させることができると聞き、私たちは亡くなった伴侶も救えると喜んだものです。旦那様が在家で入道されるというときに、私もいっしょに髪を剃って尼になりました。旦那様は常忍と名乗るようになりました。1274年の文永の役で主君、千葉頼胤(よりたね)様が蒙古と戦って傷を負い、翌年亡くなられました。享年37歳という若さでした。旦那様の嘆きはいかばかりであったでしょう。さらに、翌年には齢90歳になられたお義母さまも、手を尽くした看病の甲斐もなく旅立たれたのです。御臨終の相はほんとに安らかで、まだ生きておられるかのようなお顔をされていました。旦那さまがお義母様の遺骨を納めに大聖人様の元に行かれたので、私はお留守番です。大聖人様が病気の私にお手紙を書いてくださったそうなので、皆さんに読んであげてくださいね。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆ お手紙を拝読します。

 銭一貫文並びにつつ(筒)ひとついただきました。矢の飛ぶことは弓の力、雲の行くことは竜の力、夫のしわざは、妻の力による。今、富木殿がこの身延へ来られたことは尼御前のお力による。煙をみれば火を見る。雨をみれば竜を知り。夫を見れば妻をみる、今、富木殿にお会いしていると、尼御前を見ているように思われる。富木殿が話されていたことは、このたび母御が亡くなられた嘆きのなかにもご臨終が安らかでよかったことと、尼御前が手厚く看病してくれたことのうれしさは、いつの世までも忘れられない、と喜ばれておりました。 それにしても一番気がかりなことは尼御前のご病気のことである。必ず治ると思って、三年の間は終始おこたらず灸治していきなさい。病なき人でも死は免れがたいものである。 ただし、あなたはまだ年老いたわけでもなく、法華経の行者であるから、非業の死などあるわけがない。まして業病であるはずもない。たとえ業病であっても法華経の御力は頼もしく、病が治らないわけがない。阿闍世王は法華経を受持して四十年の寿命を延ばし、(天台大師の兄の)陳臣(ちんしん)は十五年の寿命を延ばしたと言われる。尼御前もまた法華経の行者で、御信心は月が満ち、潮が満ちるように強盛であるから、どうして病が癒えず、寿命の延びないことがあろうかと、強く思って御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことである。もし、嘆きや悲しみが起きてきた時は、壱岐対馬の事、太宰府の事を思い出されるがよい。天人のように楽しんでいた鎌倉の人々が、九州へ向かって行くにあたって、留まる妻子、行く夫、愛しい者同士が、顔と顔をすり合わせ、目と目をあわせて嘆き、生木をさかれる思いで別れを惜しみ、次第に離れて由比の浜、稲村、腰越(こしごえ)、酒匂(さかわ)箱根坂と一日、二日過ぎるほどに、歩一歩と遠くなって、その歩みを川も山も隔て、雲も隔ててしまうので、身に添うものはただ涙、ともなうものはただ嘆きばかりで、どんなに悲しいことであろうか。こうした嘆きのなかに、蒙古の軍勢が攻めてきたならば、山や海で生け捕りになったり、船の中とか、(朝鮮半島の)高麗(こうらい)とかで、つらい目にあうであろう。このことは全く失(とが)もないのに、日本国の一切衆生の父母となる法華経の行者・日蓮を、理由もなくそしり、あるいは打ち、あるいは街中を引き回して、物に狂っていた者どもが、十羅刹の責めを被って、このような目にあっているのである。彼らの身の上にはまだまだこれより百千万億倍耐え難い事が起こるであろう。こうした不思議をよくご覧なさるがよい。

われらは間違いなく仏になると思えばなんの嘆きがあるだろう(后)きさきになっても何にもならん。上界に生れてもどうしようもない(即身成仏した)竜女のあとを継ぎ、(一切衆生喜見如来と言われた)摩訶波舎波提比丘尼と同列に並ぶことができるのである。なんとうれしいことでしょう!うれしいことだよね!南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。恐恐謹言。
 三月二十七日                   日 蓮 花押
 尼ごぜんへ   

 

今回の御書でいわれているのは、題目を唱えていけば間違いなく即身成仏するっていうことです。どんなことがあっても、どんな病気になっても、災害で家がつぶれても、家が押し流されてしまっても、題目で乗り越えられないことはない。信心で宿命転換していける。人は大金持ちでも、社会で出世しても、本当の幸せにはならない。最近特に雨の災害が多いのです。洪水とか土石流とかほんと怖いですからね。大事な命は一日でも延ばして仏法のために使っていきたいと思いました。

 

今回は御書の全部を皆に意味がわかるように読んであげたくて、その方が絶対感動するので、それができてよかったです。7分での講義と言われたので、折角勉強したことをほとんど言えませんでしたが、今度、富木殿への御書の講義の時に、私が富木殿になって話そうかな(笑)