御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

富木殿御返事 1515頁 (新版御書1273頁 富木殿御返事)

建治元年(1275年)12月22日、大聖人が54歳の御時に身延で著され、上野の南条時光の母尼に与えられたお手紙と推定されてきましたが、文永6-7年の書ではないかとする説もあります。

新版御書では富木殿御返事になっています。

 

上野殿母尼御前御返事→富木殿御返事
 母尼御前には、ことに法華経の御信心が深められ、大変喜んでいるとお伝えいただきたい。。
 摩訶止観第五の事・正月一日辰の時よりこれを読み始める。明年は世間が騒々しくなると皆人が言っているので、一向後生のために十五日まで止観を談じようと思うが、本が少なくてできないので御計らいいただきたい。白米一斗をお送りくださった御志、申しつくしがたく思う。鎌倉では世間が飢えに苦しんでいる。僧はたくさんいる。過去の餓鬼道の苦を償ったのであろうか。
 法門の事、日本国に人ごとに信じさせたいと願ってきたが、その願が成熟しようとしているのであろうか。今は蒙古の勘文によって世間もやわらいでいる。これはわけのあることであると思われる。もとから信じてきた人々はことに喜んでいるようである。恐恐。
 十二月二十二日 日 蓮 花押
 上野殿母尼御前御返事

 

新版御書で御消息の名前が変わりましたね。

対合衆が変わったということみたいです。新版御書の本文を載せておきます。

 

(116)

富木殿御返事(止観第五の事)

 文永6年(ʼ69)12月22日* 富木常忍

 止観第五のこと、正月一日辰時、これをよみはじめ候。明年は世間悤々なるべきよし皆人申すあいだ、一向後生のために十五日まで止観を談ぜんとし候が、文あまた候わず候。御計らい候べきか。
 白米一斗、御志申しつくしがとう候。鎌倉は、世間かっして候。僧はあまたおわします。過去の餓鬼道の苦をばつぐのわせ候いぬるか。
 法門のこと、日本国に人ごとに信ぜさせんと願じて候いしが、願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり。子細ありぬと見え候。本より信じたる人々は、ことに悦ぶげに候か。恐々謹言。
  十二月二十二日    日蓮 花押
  母尼ごぜんにはことに法華経の御信心のふかくましまし候なること、悦び入って候と申させ給い候え。