御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

富木殿御返事 968頁 54歳御作

90歳にもなる富木常忍の母が帷(かたびら)を御供養したのに対して、その功徳とともに、母の恩を説話を通して教えられています。


 帷一領(着)受け取りました、さて、仏弟子の中・比丘(僧)が一人おられた、飢饉の世に仏がいらっしゃった時、物がなくて不自由していたので、僧は袈裟を売ってその代金を仏に差し上げた、仏が其の由来を問い給いければ・しかじかとありのままに申しけり、仏云く「袈裟はこれ三世の諸仏・解脱の(ための)法衣なり、このあたひをば我ほうじがたし(この代金に報いる力は私にはない)」と辞退されたので、此の比丘は「この袈裟あたひをば・いかんがせん(いかがいたしましょう)」と申しければ、仏の云く「汝悲母(あなたに悲母は)有りや不や(いるかどうか)」答えて云く「有り」仏云く「此の袈裟をば汝の母に供養すべし」此の比丘・仏に云く「仏は此れ三界の中の第一の特尊なり。一切衆生の眼目にていらっしゃる、設(たと)い十方世界を覆う衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、能く報じ給うべし(よく報じられるでしょう)、我が母は無智なる事、牛のごとし、羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜん(どうして袈裟の施物に報いることができましょう)」と云云、仏返して告げて云く「汝が身をば誰か生みしぞや。あなたの母これを生む。此の袈裟の恩報じぬべし(この袈裟の恩に十分報いている。)」等云云(と言われたということである>、

此れは又齢(よわい)九旬(九十歳)になられた悲母が愛子(富木常忍)にこれを差し上げられたのである。自ら老眼を無理して、身命を尽くされたであろう、富木殿は・子の身として、此の帷の恩は報じがたいと・思われて・つかわせるか(日蓮のところによこされたのであろうか)。日蓮もまた報じがたい。しかしながら又返すべきではないだろう。此の帷をきて日天の御前にして此の子細を申し上げば、定めて釈梵諸天しろしめすべし(知られることであろう)、帷は一なれども十方の諸天此れをしり給うべし、露を大海によせ(入れ)、土を大地に加るがごとし。生生に失せじ(生々に失われることはなく)、世世にくちざらむかし(世世に朽ちないであろう)、恐恐謹言。