御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

阿仏房御書 1304頁 (51歳御作)

別名「宝塔御書」

文永9年説と建治2年説とがある。

阿仏房の質問に対してある程度詳しく、でも、繁雑になるからといって全部はかかれていないところがミソでしょうか。高齢の阿仏房に難しい経文を説くよりも、わかりやすく阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房と言われたところがにくいです。

私が人生で一番印象深く覚えている御書の一節がそれなんですね。

生まれて初めて座談会に参加したときに、御書講義されたのが、この一節のところでした。講義をしたB長さんは、ずっと私を見て講義してくれました。

そのあと入会決意して、家に帰る道すがら紹介者がこの御書を言ってくれたのもよく覚えています。また、初めて地区座談会で御書講義させてもらったのもこの御書でした。当時は支部長か地区部長が講義することが多かったのに、B担当員だった私がどうして講義させられたのか、不思議な気がします。しかもこの阿仏房御書だったし。ということで、私としては非常に思い出のある御書って感じです。

今日は本文をわかりやすく現代語に直しました。

 

阿仏房御書 或文永九年三月十三日 五十一歳御作
 与阿仏房
 お手紙をくわしく拝見いたしました。さて、宝塔の御供養の物、銭一貫文・白米、種々のおくり物確かに受け取りました。此の趣(あなたのお志を)御本尊・法華経にも・ねんごろに申し上げました。御心やすくおぼしめし候へ(ご安心ください)。

 一、御文に云く(お手紙の中に)多宝如来や地から涌現した宝塔は何事を表しているのでしょうかとありました。此の法門は非常に大事である。宝塔の意義を解釈するのに、天台大師が法華文句の八に釈せられているのには、証前起後の二重の宝塔がある。証前は迹門・起後は本門である。或は又閉塔は迹門・開塔は本門。これ即ち境智の二法である。これらは繫雑になるのでここではこれ以上ふれないでおく。

所詮・三周の声聞・法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事である。今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし(同様である)。末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経と唱えるものは、我が身宝塔にして、我が身又多宝如来である。妙法蓮華経より外に宝塔はないのである。法華経の題目・宝塔であり、宝塔は又南無妙法蓮華経である。
 今阿仏上人の一身は地水火風空の五大である。この五大は題目の五字である。それゆえ阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。これより外の才覚は無益である。聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以て飾った宝塔である。多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではない。我が身を供養しておられるのである。我が身又三身即一の本覚の如来である。このように信じて南無妙法蓮華経と唱えなさい。ここがそのまま宝塔の住処である。経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこのことである。あまりに・ありがたく候へば宝塔を書き顕して差し上げます。わが子でなければ譲ってはならない。信心強盛の者でなければ見せてはならない。(日蓮の)出世の本懐とはこれである。
 阿仏房しかしながら北国の導師とも言うべきであろう。浄行菩薩が生まれ変わって日蓮を訪ねられたのであろうか。思議である。不思議である。あなたの厚い御志の由来を日蓮は知らないが、上行菩薩の御出現の力におまかせするのである。別の故はあるはずがない。あるわけがない。宝塔を夫婦ひそかに拝みなさい。くわしくはまた申すしあげよう、恐恐謹言。
 文永九年壬申三月十三日 日 蓮 花押
 阿仏房上人所へ