御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

寂日房御書 903頁 別名「自解仏乗書」 58歳御作

今日は11.18!創価学会創立記念日おめでとうございます!!

牧口初代会長の御命日でもあります。南無妙法蓮華経

 

新聞に新しい女性部の体制が書かれていました。

今回は女子部が女性部に合流しましたね。

41年前、私が結婚してすぐ支部婦人部長と女子部部長が来られて、部移動の話になりました。私はもう少し女子部でおりたいと言いましたが、NO!でありました。

 

今回の体制では、20代で結婚してても池田華陽会の女性部におれるみたいですね。

いいな~!結婚しても若い時は若い仲間と話が合うもんです。

 

さて、今日の新聞にも講義がありましたが、

11月度御書講義は「寂日房御書」なので、私も勉強しようと思います。

大体新聞に載ってますからね。大白にも載ってますね。

本文の現代語訳をしていきたいと思います。

 

寂日房御書 弘安二年九月 五十八歳御作
 与寂日房日家 於身延


 ここまで便りをくださり、かたじけなく思います。さて、人身を受けることはまれである。すでにまれなる人身をうけて、又あひがたいのは仏法である、これも又あうことができた。同じ仏法の中にも法華経の題目にあうことになり、題目の行者となった。まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者である。
 日蓮は日本第一の法華経の行者である。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人が読んだのである。八十万億那由佗の菩薩は口にはのべたけれども修行した人は一人いない。このような不思議な日蓮を生んだ父母は、日本国の一切衆生の中には大果報の人である。父母となりその子となるも、必ず宿習である。もし日蓮法華経・釈迦如来の御使ならば、父母にもその故がないはずがない。例えば妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼のようなものである。釈迦多宝の二仏・日蓮が父母と変じられたのであろうか。そうでなければ八十万億の菩薩の生れかわられたのであろうか。また上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か、不思議に思えるのである。

およそ、一切の物にわたって名前は大切なものである。それだから、天台大師は五重玄義の初めに名玄義と釈しておられる。


 私が日蓮となのる事は自解仏乗とも言うべきである。このように言えば利口そうに聞こえるけれども、道理のさすところ、そういうこともあるであろう。経に云く「日月の光明がよく諸の幽冥(ゆみょう)をのぞくようにこの人は世間に行じて能く衆生の闇を滅す」とこの文の心をよくよく考えなさい。斯人行世間(しにんぎょうせけん)の五の文字は上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇を照らすであろうということである。

日蓮がこの上行菩薩の御使として日本国の一切衆生法華経を受けたもてと勧めているのはこのことである。この山(身延)に入っても怠ってはいない。この経文の次下には「我が滅度の後に於て応に此の経を受持すべきである。この人仏道に於て決定して疑い有ること無けん」と説かれている。

このような者の弟子檀那となった人人は宿縁が深いと思って日蓮と同じく法華経を弘むべきである。法華経の行者といわれる事は、もはや不祥であり、まぬかれがたき身である。あの樊噲・張良平将門藤原純友などと言われた者は、名を惜しみ、恥を思うために、最後まで臆したることはなかった。、同じ恥だけれども今生の恥はもののかずならず。ただ後生の恥こそ大切である。獄卒や奪衣婆(だつえば)や懸衣翁(けんえおう)に三途の河のほとりで衣装をはがされる時の恥と思い合わせて、法華経の道場へまいられるべきである。法華経は後生の恥をかくす衣である。経に云く「裸者の衣を得たるが如し」云云。
 此の御本尊こそ冥途の衣装である。よくよく信じていきなさい。おとこ(夫)のはだえ(膚)をかくさざる女(妻)がいるだろうか。子の寒さをあわれと思わない親がいるだろうか。釈迦仏・法華経はめと妻と親のようなものなのである。

日蓮を助けてくださることは、今生の恥をかくしてくださる人であるから、後生はまた日蓮があなたの身の恥を隠してあげましょう。昨日は人の上、今日は我が身の上なり、花が咲けばこの実がなり、嫁はやがて姑になることは疑いないことである。信心をこたらずに南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。たびたびの御音信(おんおとずれ=お便り)をいただき、言い尽くせない思いです。この事について、寂日房からくわしく語ってあげなさい。
 九月十六日 日 蓮 花押

 

※今生の恥というのは、あくまで他人が自分をどう見るかということにある。それに対して後生の恥とは生命の因果をいっておられると考えられる。(講義より)

 

法華経は後生の恥を隠す衣である、ということを肝に銘じて頑張らなあかんのです。

誰も死んでから苦労するとはわかってないからね。想像してみるしかないね。

時々地獄を描いた映画なんかがありますね。リアルです。いかにも経文を読んで想像力を働かして作られたみたいなのが、韓国映画にありましたが・・・あーゆーことか、って思いますね。

私、結構死んでからのことに興味があるもんで、幽体離脱のテレビ番組も昔よく見ました。信心する前だったかな。

生命は永遠だからね。宇宙に戻る前に色々見下ろすみたいですね。

まあ、死んだら何もかも終わりってならないということです。自分がやってきたこと、言ってきたこと、考えたりしたことも、全部、命に刻まれてて死ぬときにすべて見せつけられるってことらしいです。こわいです。私はこわいです。普段の言行がよくないので。だから、もっと信心頑張ろうと思います。