御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

法華証明抄 1586頁 (新版御書1930頁) 61歳御作 

別名「死活抄」

弘安五年二月二十八日、南条七郎次郎時光に与えられた書です。

熱原の法難の波がようやく静まったころで、富士方面の在家の中心者として戦ってきた時光は、その心身の労苦からか前年以来はかばかしくなかった病が急に重くなっていた。内容は時光への書というより、時光を苦しめている鬼神への厳しい𠮟責の書となっている。

大聖人の御祈念と日興上人の指導とによって、若き時光は信心を奮い起こし、見事に大病を克服したそうです。

 

法華証明抄
 法華経の行者 日 蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じる者を、法華経の鏡にはどのように映されているかと拝見してみれば、過去に十万億の仏を供養した人であると・たしかに釈迦仏の金口(真実の法を説く仏の御口という意味)の御口より御断言されているのを、一仏だと末代の凡夫は疑いを起こすであろうと、これより東方にはるかの国を過ぎたところにある宝浄世界の多宝仏が、わざわざおいでになって釈迦仏に相向かわれて「妙法華経は皆是れ真実なり」と証明されたのである。

この上はなにの不審が残るであろうか。それでもなおなお末代の凡夫は・おぼつかないと思われてか、十方の諸仏を召し集められ、広長舌相と言って無量劫よりこれまで永く虚言を言われたことのない広く長い大きな御舌を、須弥山のように虚空に立てならべられたことは、ただならぬ事であった。このような次第で、末代の凡夫の身として法華経の一字・二字でも信じていくならば、十方の仏の御舌を持つ者と言えるのである。

どのような過去の宿習でこのような身に生まれたのであろうかと、喜んで経文を拝するに、過去に十万億の仏にお会いし、供養をしたが、法華経ばかりは用いなかったけれども、仏に供養した功徳が莫大であったから、謗法の罪によって貧賤の身とは生れたけれども・又此の経を信ずる人になったと説かれている。これを天台の御釈に云く「人の地に倒れて還つて地より起つが如し」等云云、地に倒れた人は・還って地より起きる、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・倒れるけれど・還って(それが逆縁となって)法華経の御手にかかって仏になると道理を明かされている。
 しかるに、この上野の七郎次郎は末代の凡夫で、武士の家に生れて(戦いで人を殺したりするので)悪人というべきではあるが、心は善人である。其の故日蓮の法門をば上一人より下万民まで信じないのみか、たまたま信ずる人があれば、或は所領・或は田畠等に・煩いが生じて、あげくに命に及ぶ人人もある。信じることが難しいのに・母の尼御前や故上野殿は信仰された。又此の者(時光)は敵子となって人も勧めないのに心中より信じられて、上下万人にあるいはいさめ、或は脅されながらも・最後まで捨てる心がなくておられるので、もはや成仏しそうになったので、・天魔・外道が病をつけてを脅かそうとしているのであろう。命はかぎりある事であり、少しも驚いてはならない。又鬼神めらめ、この人を悩ますは剣をさかさまに飲むか、又大火を抱くか、あるいは三世十方の仏の大怨敵となろうとするのか。ああ、恐れ多いことである。恐れ多いことである。この人の病をたちまちに治して、かえって守護の善神となって鬼道の大苦を免れるべきではないか。そうでなければ現在には頭破作七分の科(とが)を受け、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。よくよく心に止めるべきである。止めるべきである。日蓮の申すことを卑しむならば、後悔するであろう、後悔するであろう。
 弘安五年二月廿八日
 下伯耆

 

(追記:2023年5月号大白蓮華の御書講義に取り上げられました。)