御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

法衣書(ほうえしょ) 1296頁 

衣を供養した女性の信徒に与えらた御消息です。御術作の年月や宛名が欠けているために、その背景や由来がわかっていません。

衣を供養する功徳が大きいこと、衣の布施を怠った者の悪報が明かされています。また、大聖人御自身が無戒の比丘、邪見の者であるため、衣・食ともに乏しい身であると御謙遜の立場で述べ、しかし、女人成仏の唯一の経である法華経を弘めている大聖人に衣を供養した功徳は言葉では尽くせない、と供養された方の信心を称賛されています。

鹿のたとえが面白かったです。何でも原因があってその報いがあるということですね。

 

法 衣 書
 御衣の布、並に単衣(ひとえぎぬ)の布を確かにいただきました。

そもそも食物は命をつなぎ衣は身をかくすもの。食物を有情に施すものは長寿の報をまねき、人の食物を奪うものは短命の報を受ける。衣を人にほどこさぬ者は世世・存生に裸形の報いを受ける。六道の中に人道已下(人間界以下)は皆形裸(かたちはだか)にして生る天は随生衣(ずいしょうえ=生まれながらに身についていて成長するにしたがって自在にのびる衣服の事)なり、その中の鹿等は無衣(衣がない状態)にして生まれるばかりではなく、人の衣を盗んだので身の皮を人にはがれて盗んだ衣を償うという報いを得るのである。人の中にも鮮白比丘は生まれる時、衣を被(き)て生まれた。

仏法のなかでは裸形で法を修行することはない。故に釈尊は摩訶大母(まかだいも)比丘尼の衣を得て正覚を成ぜられたのであり、諸の比丘には三衣を着ることを許されたのである。鈍根の比丘は衣食がととのわなければ、阿羅漢果を得ることができないと言われている。特に法華経には柔和忍辱衣と申して衣を根本としている。又(仏が)法華経の行者を衣をもって覆(おお)われるとあるが、懇(ねんご)ろな義である。

 日蓮は無戒の比丘であり、邪見の者である。故に天がこれを憎んで衣食に乏しい身となったのである。そうではあるが、法華経を口に誦し、時々これを説いている。たとえば大蛇が珠を含み、伊蘭の林の中から栴檀を生ずるようなものである。(日蓮は)伊蘭を捨てて、栴檀を差し上げるのである。大蛇の形を隠して珠を授けるのである。天台大師は「他経(法華経以外の経)はただ男子に授記して女子に授記しない」と言われている。法華経でなければ女人成仏は許されないのである。具足千万光相如来というのは摩訶大比丘尼のことである。これらのことをもって推しはかってみれば、女人の成仏は法華経によるべきである。「かならず当に真実を説きたもうべし」とは教主釈尊の金言であり、「皆是れ真実なり」とは多宝仏の証明であり、「舌相梵天に至り」は諸仏の誓状である。日月が地に落ちることがあろうか。須弥山が崩れることがあろうか。大海の潮が増減しないことがあろうか。大地は覆(くつがえ)ることがあろうか。この御衣を供養された功徳は法華経に説かれている。ただ心(信心)をもって推し測りなさい。言葉で述べることが難しいからである。