御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

檀越某御返事 1294頁 57歳御作

本抄は弘安元年四月、身延において述作されたお手紙で、宛名が記載されていないため、檀越某御返事と名付けられてきましたが、内容から四条金吾へ賜わったというのが有力な説であります。

「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」という有名な一節がこのお手紙にあります。

仏道修行はあくまでも信心即生活であって、仕事も仏道修行と思って頑張らないといけないし、家事もそうだし、日常生活の中での一切が仏法の実践だと思って励むことだと思います。なかなか大変・・・なのです。すべてが仏道修行です。

 

檀越某御返事 弘安元年四月 五十七歳御作

 お便りの件、承りました。日蓮流罪してこれまで種種の災難が重ってきているのに、また何かと言われているようなことがあるとは思えないが、人の滅びようとしている時には、不可思議が事があるので、そのようなことがないとは限らない。しかし、もしその義があれば、用いてもらうには百千万億倍も幸いである。

今度で三度になる。法華経も・よもや日蓮をゆるき(怠惰な)行者とは思わないであろう。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生を今度こそ見極めたいものである。ぜひとも、いわれているようなことが起こることを願っている。雪山童子の跡をつぎ不軽菩薩のような身になりたいものである。(このまま生きながらえても)いたずらに・疫病にかかって倒れるか、(または)老いて死んでしまうかである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである。願くは法華経のために国主に憎まれて、今度、生死の縛(ばく)を離れたいものである。天照太神・正八幡大菩薩・日月天・帝釈天梵天王等の仏前の御誓約を今度こそ試みたいものである。

以上述べたことはさておいて、各各の御身の事はこれより申しあげる。そのまま(出仕されて)おられることこそ、法華経を十二時(とき)に修行されていることになるのである。あなかしこあなかしこ。御みやづかいを法華経の修行と思いなさい。経に「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と説かれているにはこれである。くれぐれお便りのご配慮のこと、承知しております。恐恐謹言。
 四月十一日 日 蓮 花押