御執筆年月日については「七月二日」とあるだけで、年についての記載はないですが、建治元年(1275年)身延で認められたお手紙とされています。
稗の飯を供養した阿那律は如意という福徳を得て、法華経で普明如来の記別を与えられ、麦の飯を供養した迦葉は天上の果報を得て、法華経で光明如来の記別を与えられた例を引いて、白麦を供養した時光の功徳の大きいことを明かされています。
この御書には次のような追伸があるのですが、ちょうど今コロナ禍で世界中、日本中が大変なときにぴったりの御書だと思って、今日の座談会で発表させていただきました。
まず、御書の追伸のところ:
このよの中は・いみじかりし時は何事かあるべきとみえしかども・当時はことにあぶなげに・みえ候ぞ、いかなる事ありともなげかせ給うべからず、ふつとおもひきりてそりやうなんども・たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて・うちうそぶきて・これへわたらせ給へ、所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ、当時つくしへ・むかひて・なげく人人は・いかばかりとか・おぼす、これは皆日蓮を・かみのあなづらせ給いしゆへなり。
ここを現代語でしかも現代の世情を加味して書き直しました。
この世の中は状態のいいときは何でもないように見えたけれども、この頃は特に危ないように思われる。どんなことがあっても嘆いてはならない。きっぱり思い切って(御書には所領とありますが)自分の家や土地など、自分の思い通りにならないことが起こったならば、例えば、緊急事態宣言とか、蔓延防止措置なんかで、お店がやっていけないとか、家のローンが払えなくて追い出されるとか、最悪の状態になったとしても、「いよいよこれこそ悦ぶべきことであると思って、気に病まないでここ(身延)へおいでなさい」と言われています。自分の住む家さえもなくなった人があまりにも多くなっている。
「当時筑紫へ向かいて嘆く人々はいかばかりかとおぼす」と言われているところは、今で言えば、新型コロナと戦う医療従事者の人達のように命がけで戦われている人達の思いや、また、コロナに感染して入院したり、入院できなくて不安に苛まれている人達の思いは「いかばかりであろうか」「どれほど大変な思いであろうか」と言われているでように思います。これは皆日蓮大聖人を幕府が侮(あなど)ってきたからである。つまり、大聖人の国家諌暁を用いずに迫害してきたことが根本の原因であると言われているのです。
<感想>
為政者は民の命を第一に考えて政治を行うべきではないでしょうか。今の菅内閣は何を考えているのかよくわかりませんね。医療崩壊している大阪では入院できずに自宅や救急車の中で命を落とす人もいるのに、いまだにオリンピックがやりたいのですね。大聖人が生きておられたら「喝」ですよ。まあ、日本中の国民は全員「喝」って思っていますけどね。
では、この御書の現代文を書きますね。
白麦一俵と小白麦一俵、河海苔(かわのり)五帖を送っていただいた。
仏の御弟子の阿那律尊者という人は、幼い時のお名前を如意と言った。如意というのは、心のままに宝を降らしたからである。この由縁を仏に聞くと(それは阿那律が)昔、飢饉の世に縁覚という聖人に稗の飯を供養したからであるからであると答えられた。迦葉尊者という人は仏についで世界第一の僧であり、在俗の身であったときは長者で蔵を六十持ち、その蔵に金を百四十石ずつ入れておかれた。それ以外の財宝は数えきれないくらいでした。この前世の御事績を仏にお伺い申し上げると、昔、飢饉の辟支仏に麦の飯を一杯供養したがゆえに忉利天に千遍生まれ、今、釈迦仏法に会って僧の中の第一人者となられ、法華経において光明如来という未来成仏の時の名を授けられたのである、と天台大師は法華文句の第一巻に記されている。
それらのことからこの時光の御供養を考えてみる時、迦葉尊者の麦の飯は体層素晴らしくて光明如来となられ、今の旦那の白麦は卑しくて仏にならないということがあろうか。釈尊在世の月は末法当今においても月であり、在世の花は今も花であり、昔において功徳となるものは今においても功徳となるのである。
その上(供養を受ける人は)上一人より下万民にまで憎まれて、山中で飢え死にするであろう法華経の行者である。これを憐れと思って山河を越え渡り、送っていただいた御志の麦は、麦ではなく金である。金ではなく法華経の文字である。私たちの目には麦であるが、十羅刹女にあってはこの麦を仏の種とご覧になっているであろう。阿那律が供養した稗の飯は変わって兎となった。兎は変わって死人となり、死人は変わって金となった。金の指を抜き取って売ったところ、また生え出てきた。王の責めがあったときは死人となった。このように尽きることなく九十一劫を経たのである。釈摩男という人は石を手に取ると金となり、金粟王(こんぞくおう)は砂を金となされたという。
今の麦は法華経の文字である。または、女性のためには鏡となり、身の装飾となるであろう。男性のためには鎧となり、兜となるであろう。守護神となって弓箭の第一人者との名を得るであろう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
この世の中は大層よい状態の時は何事もありえないように見えたけれども、このごろは特に危ないように思われる。どのようなことがあっても嘆かれてはならない。きっぱりと思い切って、所領などについても(自分の思いと)相違することが起こったならば、いよいよこれこそ悦ぶべき事であると思って、そらうそぶいて、ここ(身延)へおいでなさい。所領の土地を領有してない人も非常に多くなっている。今日、筑紫へ赴いて嘆く人々の心中の思いは、いかばかりであろうか。これは皆、日蓮を国主が侮(あなど)られたからである。
<御書>1541頁~
南条殿御返事
白麦一俵・小白麦一俵・河のり五でふ・送り給び了んぬ。
仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は・をさなくしての御名をば如意と申す、如意と申すは心のおもひのたからをふらししゆへなり、このよしを仏にとひまいらせ給いしかば・昔うえたるよに縁覚と申す聖人をひゑのはんをもつて供養しまいらせしゆへと答えさせ給う。
迦葉尊者と申せし人は仏についでも閻浮提第一の僧なり、俗にてをはせし時は長者にて・からを六十そのくらに金を百四十こくづつ入れさせ給う、それより外のたから申すばかりなし、この人のせんじやうの御事を仏にとひまいらせさせ給いしかば・むかしうえたるよにむぎのはんを一ぱひ供養したりしゆへに・忉利天に千反生れて今釈迦仏に値いまいらせ僧の中の第一とならせ給い法華経にて光明如来と名をさづけられさせ給うと天台大師・文句の第一にしるされて候。
かれをもつて此れをあんずるに迦葉尊者の麦のはんは・いみじくて光明如来とならせ給う、今のだんなの白麦は・いやしくて仏にならず候べきか、在世の月は今も月・在世の花は今も花・むかしの功徳は今の功徳なり、その上・上一人より下万民までに・にくまれて山中にうえしにゆべき法華経の行者なり、これをふびんとをぼして山河をこえわたり・をくりたびて候御心ざしは麦にはあらず金なり・金にはあらず法華経の文字なり、我等が眼にはむぎなり・十らせつには此のむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ、阿那律がひゑのはんはへんじてうさぎとなる、うさぎ・へんじて死人となる・死人へんじて金となる・指をぬきてうりしかば又いできたりぬ、王のせめのありし時は死人となる、かくのごとく・つきずして九十一劫なり、釈まなんと申せし人の石をとりしかば金となりき、金ぞく王は・いさごを金となし給いき。
今のむぎは法華経のもんじなり、又は女人の御ためには・かがみとなり・身のかざりとなるべし、男のためには・よろひとなり・かぶととなるべし、守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。
このよの中は・いみじかりし時は何事かあるべきとみえしかども・当時はことにあぶなげに・みえ候ぞ、いかなる事ありともなげかせ給うべからず、ふつとおもひきりてそりやうなんども・たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて・うちうそぶきて・これへわたらせ給へ、所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ、当時つくしへ・むかひて・なげく人人は・いかばかりとか・おぼす、これは皆日蓮を・かみのあなづらせ給いしゆへなり。
七月二日 日 蓮 花押
南条殿御返事