御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

新版御書に追加された御書② 1268頁 1377頁 1497頁 

 をば逆縁とおぼしめすべし。道の間、いかんが候いけん。おぼつかなし、おぼつかなし。いそぎ御返事うけたまわって心の内をはれ候わばや。恐々謹言。
  十二月一日    日蓮 花押
 安州出雲尼御前

 

出雲の尼というのはこの御書だけのようです。安州とあるので安房に住む女性信徒です。はるばる身延まで大聖人を訪ねて、その帰りの長い道のりはどうだったのかと心配されています。ご返事を早く受け取って心が晴れてくることを願っている、と言われています。

 

 乗明上人、一石を山中に送る。福過十号の功徳を得ん。恐々謹言。
  七月二十七日    日蓮 花押
 御返事

 

大田乗明に与えられたお手紙で原文は漢文体です。

 

 

 御ふみにかかれて候上、大にのあざりのかたり候は、ぜに十余れんならびにようようの物ども候いしかども、とうじはのうどきにて□□□□人もひきたらぬよし□□□□も及び候わざりけ□□□□兵衛志殿の御との□□□□御夫馬にても□□□□て候よし申し候。
 夫れ、百済国より日本国に仏法のわたり候いしは、大船にのせてこれをわたす。今のよど河より、おうみの水海につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たといかまくらにいかなる物を人たびて候とも、夫と馬となくば、いかでか□□が命はたすかり候べき。
 □徳勝童子は、土の餅を仏に□□□□阿育大王と□□□□くようしまいらせ候いしゆえに、阿育大王の第一の大臣・羅提吉となりて、一閻浮提の御うしろめ、いわゆるおおい殿の御時の権大夫殿のごとし。これは彼らにはにるべくもなき大功徳。この歩馬はこんでいこまとなり、この御との人はしゃのくとねりとなりて、仏になり給うべしとおぼしめすべし。
 そもそもすぎしことなれども、あまりにとうとく、うれしきことなれば申す。
 昔波羅捺国に摩訶羅王と申す大王おわしき。彼の大王に二りの太子あり。いわゆる、善友太子・悪

友太子なり。善友太子の如意宝珠を持ちておわせしかば、これをとらんがために、おとの悪友太子は兄の善友太子の眼をぬき給いき。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多これなり。兄弟なれども、たからをあらそいて、世々生々にかたきとなりて、一人は仏なり、一人は無間地獄にあり。これは過去の事、他国の事なり。
 我が朝には、一院・さぬきの院は兄弟なりしかども、位をあらそいて、ついにかたきとなり給いて、今に地獄にやおわすらん。当世、めにあたりて、この代のあやおきも兄弟のあらそいよりおこる。大将殿と申せし賢人も、九郎判官等の舎弟等をほろぼし給いて、かえりて我が子ども、皆所従等に失われ給う。眼前の事ぞかし。
 とのばら二人は上下こそありとも、とのだにも、よくふかく、心まがり、道理をだにもしらせ給わずば、えもんの大夫志殿は、いかなる事ありとも、おやのかんどうゆるべからず。えもんのたゆうは法華経を信じて仏になるとも、おやは法華経の行者なる子をかんどうして地獄に堕つべし。とのはあにとおやとをそんずる人になりて、提婆達多がようにおわすべかりしが、末代なれどもかしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給い、ちちかた、ははかたのるいをもすくい給う人となり候いぬ。
 また、とのの御子息等も、すえの代はさかうべしとおぼしめせ。このことは一代聖教をも引いて、百千まいにかくとも、つくべしとはおもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候えば、事々申さず。あわれ、あわれ、いつかげんざんに入って申し候わん。
 また、むかいまいらせ候いぬれば、あまりのうれしさにかたられ候わず候えば、あらあら申す。よろずは心にすいしはからせ給え。女房の御事、同じくよろこぶと申させ給え。恐々謹言。

 

池上家の父と二人の息子との信心をめぐる対立が解決したことを伝えています。

本書は、弟・兵衛の志が兄の側につくことにより、ついに父も折れ、父親自身も入信するにいたったことが述べられている点で、重要な消息であるとされています。

「三人ともに仏になり給」とあり、日蓮の心境も「あまりのうれしさに」とつづられています。

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