寒さの厳しい身延山中で生活をされる日蓮大聖人に、変わらぬ供養の誠を尽くす智君津の信心を称賛され、その功徳によって亡き父と亡き弟の成仏は疑いない、と述べられています。
春初(はるのはじめ)御消息 弘安5年(ʼ82)1月20日 61歳 南条時光
はわき殿かきて候こと、よろこびいりて候。
春の初めの御悦び、木に花のさくがごとく、山に草の生い出ずるがごとしと、我も人も悦び入って候。さては、御送り物の日記、八木一俵・白塩一俵・十字三十枚・いも一俵、給び候い畢わんぬ。
深山の中に、白雪、三日の間に庭は一丈につもり、谷はみねとなり、みねは天にはしかけたり。鳥・鹿は庵室に入り、樵牧は山にさしいらず。衣はうすし、食はたえたり。夜はかんく鳥にことならず。昼は里へいでんとおもう心ひまなし。すでに読経のこえもたえ、観念の心もうすし。今生退転して未来三・五を経んことをなげき候いつるところに、この御とぶらいに命いきて、またもや見参に入り候わんずらんとうれしく候。
過去の仏は、凡夫にておわしまし候いし時、五濁乱漫の世に、かかる飢えたる法華経の行者をやしないて仏にはならせ給うぞとみえて候えば、法華経まことならば、この功徳によりて過去の慈父は成仏疑いなし。
故五郎殿も、今は霊山浄土にまいりあわせ給いて、故殿に御こうべをなでられさせ給うべしとおもいやり候えば、涙かきあえられず。恐々謹言。
正月二十日 日蓮 花押
上野殿御返事
申すこと恐れ入って候。返す返す、はわき殿、一々によみきかせまいらせ候え。