(348)
越後公御房御返事
弘安2年(ʼ79)1月8日 58歳 日弁
大餅五枚、薯蕷〈一本、太きなり〉、鷷鵄一俵。
去・今年の饉餲・瘴癘・刀兵と申し、あたかも小の三災の代のごとし。山中に送り給うこと、志の至りか。恐々謹言。
正月八日 日蓮 花押
越後公御房御返事
【解説】原文は漢文体。ただし、「刀兵と」の「と」のみひらがなになっている。
越後公という弟子に対する御礼の書。
このことは、すでに梵天・帝釈・日月等に申し入れて候ぞ。あえてたがえさせ給うべからず。各々、天の御はからいとおぼすべし。恐々謹言。
九月二十六日 日蓮 花押
伯耆殿ならびに諸人御中
【解説】教団存続の危機的状況のもと、日蓮大聖人と陣頭指揮を執る日興をはじめ、門下たちが結束し、総力戦で法難に立ち向かう姿がうかがえるのである。
(「日蓮の真筆御書をよむ」254頁~257頁を参考に書きました。この御書は前にもう少し御文があります。追加分にはないようです。
(356)
西山殿御返事(名ばかり申し候の事)
建治・弘安期 西山殿
としごろ後生おぼしめして御心ざしおわすれば、名ばかり申し候。同行どもにあらあらきこしめすべし。やすきことなれば、智慧の入ることにあらず、智慧の入ることにあらず。恐々謹言。
一月二十三日 日蓮 花押
西山殿御返事
(428)
白米和布御書
白米五升・和布(わかめ)一連(いちれん)給び了わんぬ。阿育大王は昔徳勝童子なり。沙の餅をもって仏に供養して一閻浮提の王となる。今、施主は白米五升をもって法華経に供養す。あに成仏せざらんや。いかにいわんや、飢えたる世なり云々。
乃時 日蓮 花押
御返事
同頁(429)
女人某御返事
てみればものもさわらず、ゆめうつつわかずしてこそおわすらめ。といぬべき人のとぶらわざるも、うらめしくこそおわすらめ。女人の御事として、おやこのわかれにみをすて、かたちをかうる人すくなし。おとこのわかれは、ひび・よるよる・つきづき・としどしかさなれば、いよいよこいしさまさり、おさなき人もおわすなれば、たれをたのみてか人ならざらんと、かたがた、さこそおわすらるれば、わがみもまいりて心をもなぐさめたてまつり、また弟子をも一人つかわして御はかの。
解説を読んだ感想:漢字の使用率から門下のどのご婦人に与えられたものであるかを推測し判断していくのか書いてあって興味深かった。漢字使用率37.6%の御書をいただいた日妙聖人は教養の高さがわかるらしいが、こちらの文は漢字が12.7%で圧倒的にひらがなが多いので、一番近い感じ使用率から、高橋殿の尼、すなわち窪尼がもっともふさわしいと小林教授は考えておられる。とはいえ、推測ではあるので女人某となっている。