御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

新版御書に追加された御書 ①   441頁 853頁 1875頁  1928頁

新版御書に追加された御書を12編拝読しました。

短いのですぐ拝読できるのですが、意味がわからないのもあって、断片だったりもして、小林正博博士の本{日蓮の真筆文書をよむ」を参考にしました。追加分全部があるわけではないようですが、追加分以上の沢山のご真筆が載っています。

 

 答えて曰わく、しかなり。謂えらく、夏の桀・殷の紂・周の幽等の世これなり。
 難じて云わく、彼の時、仏法無し。故に、また謗法の者無し。何に依るが故に国を亡ぼすや。
 答えて曰わく、黄帝孔子等、治国の作方は五常をもってす。愚王有って礼教を破るが故に、災難出来するなり。
 難じて云わく、もししからば、今の世の災難、五常を破るに依るとならば、何ぞ必ずしも選択流布の失と云わんや。
 答えて曰わく、仏法いまだ漢土に渡らざる前には、黄帝等、五常をもって国を治む。その五常は、仏法を渡して後にこれを見れば、即ち五戒なり。老子孔子等もまた、仏遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめんがために、遣わすところの三聖なり。夏の桀・殷の紂・周の幽等、五常を破って国を亡ぼすは、即ち五戒を破るに当たるなり。
 また、人身を受けて国主と成るは、必ず五戒十善による。外典は浅近なるが故に過去の修因・未来の得果を論ぜずといえども、五戒十善を持って国王と成る。故に、人有って五常を破れば、上に天変しきりに顕れ、下に地妖、まま侵すものなり。
 故に、今の世の変災もまた、国中の上下万人、多分は選択集を信ずるが故なり。弥陀仏より外の他仏・他経において拝信を至す者においては、面を背けて礼儀を至さず、言を吐いて随喜の心無し。故に、国土において、人民、殊に礼儀を破り、道俗、禁戒を犯す。例せば、阮籍に習う者は礼儀を亡ぼし、元嵩に随う者は仏法を破るがごときなり。
 問うて曰わく、何をもってか、これを知る、仏法いまだ漢土に渡らざるより已前の五常は仏教の中の五戒たることを。いかん。
 答えて曰わく、金光明経に云わく「一切世間のあらゆる善論は、皆この経に因る」。法華経に云わく「もし俗間の経書、治世の語言、資生等を説かんも、皆正法に順ぜん」。普賢経に云わく「正法もて国を治め、人民を邪枉せず。これを第三の懺悔を修すと名づく」。涅槃経に云わく「一切世間の外道の経書は、皆これ仏説にして外道の説にあらず」。
 止観に云わく「もし深く世法を識らば、即ちこれ仏法なり」。弘決に云わく「礼楽前に駆せて、真道後に啓く」。

 以下略します。

この御書はちょっと難しかったかな。

 

 去ぬる八月の比に愚札を進らせしむるの後、今月に至るも是非につけて返報を給わらず、鬱念散じ難し。悤々の故に想亡せしむるか。軽略せらるるの故に、慳□一行か。本文に云わく「師子は少兎を蔑らず、大象を畏れず」等云々。
 もしまた万が一、他国の兵、この国を襲う□出来せば、知って奏せざるの失、ひとえに貴辺に懸かるべし。
 仏法を学ぶの法は、身命を捨てて国恩に報ぜんがためなり。全く自身のためにあらず。本文に云わく「雨を見て竜を知り、蓮を見て池を知る」等云々。災難急を見るの故に、度々これを驚かす。用いざるに、しかもこれを諫む。強。

 

これは短いです、これだけ。

北条時宗の被官であった宿屋入道を通して、時宗立正安国論を提出したはずなのに、待てど暮らせど返事がない!

宿屋入道に怒ってはるのがよくわかります。通解はないのですが・・・

「今月に至るも是非につけて返報を給わらず、鬱念散じ難し」

私も使いそうです、「鬱念散じ難し!」どうなっとんのや!って

結局時宗に提出されなかったらしい。なんちゅうこっちゃ。

大聖人の進言を聞くどころか、幕府はどんどん大聖人を迫害するようになっていきますね。

 

追加分の御書も創価ネットで読めるようになっていたのがわかり、うれしいです。

私の新版御書は分冊の1冊目だけしか買ってないので、ネットで読めると助かります。

コメントくれてたMさんありがとうございました。追加分の御書もわかって助かりました。感謝!

 

1875ページ(316)

南条殿御返事(芋薑供養の事)

 弘安元年(ʼ78)4月14日 57歳 南条時光

 いも・はじかみ、悦んで給び候い了わんぬ。いまをはじめぬことに候えば、とかく申すにおよばず候。おりふし、そうそうなること候いしあいだ、委細の御返事に及ばざるの由候ところに候。恐々謹言。
  卯月十四日    日蓮 花押
 南条殿御返事

 

弘安元年のお手紙ですが、「おりふし、そうそうなること候いしあいだ」とあるようにあわただしい諸般の事情からか、本文を弟子が代筆し、時光に与えられたもののようです。

 

 昔の徳勝童子は、土のもちいを仏にまいらせて一閻浮提の主となる。今の檀那等は、二十枚の金のもちいを法華経の御前にささげたり。後生の仏は疑いなし。なんぞ今生にそのしるしなからん。恐々謹言。
  正月十一日    日蓮 花押
 上ののごうす等のとのばら 

(上野の郷主等の殿原=上野郷を支配する領主や武士たち)=おそらく南条時光とその家人のこと。