御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 第七 天鼓自然鳴(てんくじねんみょう)の事 新991頁

第七 「天鼓自然鳴(天鼓は自然に鳴る)」の事

【これは序品第一の「仏是の経を説きおわって、即ち法座の上において、跏趺して三昧に坐したもう。無量義処と名づく、天より曼陀華を雨(ふら)し、天鼓自然に鳴り、諸の天竜鬼神、人中尊を供養す」とあるところの御義口伝である。】


  疏(文句の第三)に云わく「『天鼓自然鳴』は無問自説を表すなり」。

御義口伝に云わく、この文は此土・他土の瑞(=瑞相)同じくして長出せるを頌す。「無問自説」とは、釈迦如来妙法蓮華経を無問自説したもうなり。今、日蓮等の類いは、無問自説なり。「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と喚ぶことは、無問自説なり。三類の強敵の来ることは、この故なり。「天鼓」とは、南無妙法蓮華経なり。「自然」とは、無障礙なり。「鳴」とは、唱うるところの音声なり。


  一義に、(また、別の面から解釈すれば)一切衆生の語言音声を自在に出だすは「無問自説」なり。「自説」とは、獄卒の罪人を呵責する音、餓鬼の飢饉の音声等、一切衆生の貪・瞋・癡の三毒の念々等を自説とは云うなり。この音声の体とは、南無妙法蓮華経なり。


  本迹両門の妙法蓮華経の五字は「天鼓」なり。「天」とは、第一義天なり(すなわち妙法蓮華経をいうのである)。「自説」とは、自受用(自受用身)の説法なり。

記の三に云わく「『無問自説を表す』とは、方便の初めに三昧より起って舎利弗に告ぐ。広歎・略歎、(広く妙法の甚深なることを賛嘆し、また、略して賛嘆したのである、)(仏はこの妙法の甚深なることを)

此土・他土、寄言・絶言、此土・他土の瑞相をもって教えようとした。なぜならば法華経の理はそれほど深いので、言葉をもっては言い尽くせないからである。)

もしは境(迹門のこと)、もしは智(本門のこと)、これ乃ち一経法華経の根本、五時(華厳・阿含・方等・般若・法華の五時)の要津(肝要)なり。このこと軽からず(容易なことではない)」。この釈に「一経の根源、五字の要津(肝要)」とは、南無妙法蓮華経これなり云々。

 

講義の内容はまとめるのが難しいので省きます。

とにかく題目をあげていくことが大事だということですね。