第十二 「為度衆生故 方便現涅槃(衆生を度せんがための故に、方便もて涅槃を現ず)」の事
御義口伝に云わく、涅槃経は法華経より出でたりという経文なり。既に「方便」と説かれたり云々。
説明いりますかね~講義読みましたが、涅槃経は爾前経と共に法華という根本の生命のための重宝であり、法華経なくば、まったくの無意味な経文になってしまうとありました。講義では永遠の生命の話を説かれていました。興味のある方は下巻の169頁を参照してください。
御義口伝が短いので、これくらいでおいておきます。
第十三 「常住此説法(常にここに住して法を説く)」の事
御義口伝に云わく、「常住」とは、法華経の行者の住処なり。※「此」とは、娑婆世界なり。山谷曠野を指して「此」とは説きたもう。
※此(ここ)とは娑婆世界をいい、山であれ、谷であれ、荒野であれ、いずこであろうとも、法華経の行者が住するところは、常住此説法の此(ここ)であると説かれるのである。
「説法」とは、【理の上で論ずるならば】一切衆生の語言音声、本有(ほんぬ)の自受用智(そのものがもつ境涯に応じた声)の説法なり。末法に入って「(事の)説法」とは、南無妙法蓮華経なり。今、日蓮等の類いの説法これなり。
最高の法たる南無妙法蓮華経を説く人は、誰人であれ、最高の説法をしている。
一対一の折伏、指導、座談会が真の説法の姿である。