第八 「悪世中比丘(悪世の中の比丘)」の事
御義口伝に云わく、「悪世中比丘」の「悪世」とは末法なり、「比丘」とは謗法たる弘法等これなり。法華の正智を捨てて権教の邪智を本とせり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、正智の中の大正智なり。
<講義より>
悪世中比丘とは道門増上慢のことであり、既成宗教、新興宗教界ともに含まれる。
第九 「或有阿練若(あるいは阿練若に有り)」の事
御義口伝に云わく、第三の比丘なり、良観等なり。「如六通羅漢(六通の羅漢のごとし)」の人と思うなり。
<講義より>
僣聖増上慢の邪僧について書かれているところである。国家権力の事である。
第十 「自作此経典(自らこの経典を作る)」の事
御義口伝に云わく、「法華経を所作して読む」と謗ずべしという経文なり云々。
<講義より>
僣聖増上慢が「自らこの経典を作って、世間の人を誑惑す」と法華経の行者を誹謗する姿が説かれている。御義口伝には、この文は「われわれが法華経を自分勝手に作って読んでいると、僣聖増上慢が誹謗するであろうという文である。
第十一 「為斯所軽言 汝等皆是仏(これの軽んじて、「汝等は皆これ仏なり」と言うところとならん)」の事
御義口伝に云わく、法華経の行者を蔑(あなづ)り、生き仏と云うべしという経文なり。これは軽んずる心をもって謗るなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者を云うべきなり。
<講義より>
南無妙法蓮華経のみが絶対なりと確信もち、折伏に励むと、彼等謗法の徒は、必ず、皮肉な軽蔑の念をもって、生き仏などと呼んでそしるであろうということです。