御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

土木殿御返事 963頁 52歳御作 

文永10年(1273年)11月3日、佐渡市野沢で著され富木常忍に与えられたお手紙です。

前の部分が欠けており、小袖のお礼を述べ、当時の飢饉や疫病の様子が記されています。

 

 御書に通解も一緒に入れて書きました。

 鵞目二貫給候い畢んぬ(受け取りました)、太田殿と其れ(あなた)と二人の御心を喜んでいます。伊与房は機量物(きりょうもの)=【才能や徳のすぐれている者】です。今年留め候い畢んぬ(こちらに留めておくことにしました)、御勘気ゆりぬ事(佐渡流罪が許されないことを)・御歎き候べからず候(嘆いてはいけません)、当世・日本国、子細之れ有る可き由、之を存ず(面倒があるであろうことは承知している)。定めて(必ず)勘文の如く候べきか(立正安国論で述べたようになるであろう)、たとい日蓮死生不定為りと雖も(日蓮の生き死にが定かでないとしても)妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か。伝教大師は御本意の円宗(天台法華宗)を日本に弘めんとす(弘めようとされた)、但し定慧(円定と円慧)は存生(生存中)に之を弘め、円戒(円頓戒壇)は死後に之を顕す。事相為る故に一重大難之れ有るか(具体的な形を伴うものであるために、ひときわ大きな難があったのであろう。)仏滅後二千二百二十余年(の間)今に(いまだに)寿量品の仏と肝要の五字(妙法蓮華経)とは流布せず(流布していない)、当時(現在の自分の)果報を論ずれば、恐らくは伝教・天台にも超え竜樹・天親にも勝れたるか、文理(文証・理証)が無ければ、大慢豈之に過んや(これにすぎる慢心があろうか。)

章安大師天台を褒めて云く「天竺(インド)の大論(大智度論)でさえ、尚(なお)其の類に非ず。真旦(中国)の人師、何ぞ労しく(どうしてわずらわしく)語るに及ばん(語る必要があろう)、此れ誇耀(こよう)=(自慢して見せびらかすこと)に非ず(自慢して見せびらかしているのではない)、法相の然らしむるのみ(説かれた法理の内容がそうさせるのである。)」等云云、日蓮又復是くの如し。竜樹天親等(でさえ)尚其の類に非ず(肩をならべるものではない)等云云、此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ、故に天台大師日蓮を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」等云云、伝教大師当世を恋いて云く「末法太はだ近きに有り」等云云、幸いなるかな我が身「数数見擯出」の文に当ること、悦ばしいかな、悦ばしいかな、諸人の御返事に之を申す故に委細(諸人からのお手紙の返事として、このように詳しく書きました。)恐恐。
 七月六日 日 蓮花押
 土木殿御返事

 

講義より:

伝教大師は天台の法華経を基とした円宗を日本国に弘めようとした。しかし、戒定慧のうち定と慧は生前に弘めたが、戒は死後になってようやく現実化したと述べられている。伝教の死後5年経って、時の嵯峨天皇が許可して比叡山に法華円頓の戒壇が建立されたのである。(日蓮大聖人御書講義 第16巻273頁を参考にしました。)

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