御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

聖密房御書 896頁 56歳御作 

建治三年(1277年)身延で著され、安房清澄寺の聖密房に送られたお手紙です。

真言宗を徹底的に破折された御抄で、はじめにインド・中国・日本の三国にわたる真言師が、法華経大日経に劣るとした文証をあげ、それらの邪義を天台大師が立てた一念三千の法門の有無によって破折されています。

特に真言宗の立てる理同事勝の義について、一念三千の法理を盗みいれて、法華経大日経は「理」において同じとしたことは法盗人であり、大日経には無い印と真言があるので、事において勝れていると言っているが、法華経の二乗作仏・久遠実成の「事」に比べれば天地の違いがあり、真言は劣謂勝見の外道であると断じています。

さらに真言宗華厳宗等は大乗から出てはいるが、小乗にあたるとし、伝教大師による諸宗の破折と真言に対する姿勢を明かされ、理において劣る大日経がひろまったのは論師・人師のためであるとして、聖密房のためにこれらのことを記したので、よく学ぶようにすすめています。最後に「これは大事の法門です、虚空蔵菩薩に詣でて常に読まれるがよい」と言われているのがそれです。

 

 聖密房御書 建治三年 五十六歳御作

 大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く「大日経の理と法華経の理とは同じ事なり但印と真言とが法華経は劣なり」と立てたり、良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は大日経華厳経法華経・涅槃経等には及ばず但方等部の経なるべし、日本の弘法大師云く「法華経は猶華厳経等に劣れり、まして大日経には及ぶべからず」等云云、又云く「法華経は釈迦の説・大日経大日如来の説・教主既にことなり・又釈迦如来大日如来の御使として顕教をとき給う。これは密教の初門なるべし」或は云く「法華経の肝心たる寿量品の仏は、顕教の中にしては仏なれども、密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云云。
 日蓮勘えて云く、大日経は新訳の経であり、唐の玄宗皇帝の御時・開元四年に天竺の善無畏三蔵が持って来た。法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵が持って来た。その間は三百余年である。法華経が中国にわたって後百余年を経て天台智者大師が出現され、教門には五時四教(の教判)を立てて、それまでの五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門を悟って始めて法華経の理を得たのである。

天台大師以前の三論宗や意以後の法相宗には八界を立て十界を論じていない。一念三千の法門が立つはずがない。

華厳宗は天台以前には南三北七の諸師が華厳経法華経に勝れているとは言っていたけれども、華厳宗の名はなかった。唐の代に高宗の后・則天皇后と申す人の御時に法蔵法師、澄観などという人が華厳宗の名を立てたのである。

この宗は教相に五教を立て、観門には十玄・六相などという法門である。いかにも深遠な教えのようにみえたけれども、澄観は天台を破っているようで実は天台の一念三千の法門を借り用いて、華厳経の「心如工画師」の文の心としたのである。これは華厳宗が天台に敗れたというべきか。また一念三千の法門を盗みとりたりというべきか。澄観は持戒の人であり、大乗小乗の戒を一塵をもやぶらなかったけれども、一念三千の法門を盗み取ったのである。このことをよくよく口伝しなければならない。

真言宗の名は天竺(インド)にあるのか、ないのかは大いなる疑問である。ただの真言経であったのを善無畏等が中国に来た時に、宗の名を付けたのかどうか、よくよく知らなくてはならない。とりわけ、善無畏等は法華経大日経との勝劣を判釈するのに、理同事勝の釈をつくって一念三千の理は法華経大日経もこれ同じなどと言っているけれども、印と真言とが法華経には無いので、事法は大日経に劣っている、事相欠けていれば事理倶密の法門もなしとしたのである。今日本国及び諸宗の学者等並びにその中でも特に用いてはならな天台宗が、共にこの義(理同事勝)をゆるしている。たとえば諸宗の人々が念仏を称える人をそねみながら、一同に阿弥陀仏の名をとなえて自宗の本尊を捨てているようなものである。天台宗の人々は一同に真言宗に落ちてしまった者なのである。

 

(897頁8行目)
 日蓮は道理の趣くところを疑っていうには、善無畏三蔵の法華経大日経とは理は同じであっても事は勝れていると立てるのは天台大師の始めて立てられた一念三千の理を今大日経にとり入れて法華経と同じと自由に(勝手に)判ずることであり、許されるであろうか。

たとえば先に(昔)柿本人麻呂が「ほのぼのと・あかしのうらの・あさぎりに・しまがくれゆく・ふねをしぞをもう」と詠んだのを、紀淑望(きのしゅくぼう)や源順(みなもとしたがう)などが判定して云く「此の歌はうたの父・うたの母である」と称えた。それを今の人が我が歌を詠んだといって、「ほのぼのと乃・・・船をしぞをもう」と一字をも違えずに詠んで「我が才は人丸に劣らない」と言ったとしたら、人はこれを用いるであろうか。やまがつ(木こり)や海人(漁夫)なら用いる事もあるだろう。

天台大師が始めて立てられた一念三千の法門は、仏の父・仏の母なのである。天台大師が出生してから百余年以後に中国に渡ってきた善無畏三蔵がこの法門を盗み取って大日経法華経とは理同じである、理が同じというのは一念三千であると書いてるのを、智慧かしこき人は用いるべきであろうか。

また、大日経が事において勝れるというのは印・真言がないあkらだなどというのは、インドの大日経法華経の勝劣をいうのか。それとも中国の法華経大日経の勝劣なのか。たとえば不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印・真言を添えて訳している。仁王経にも羅什の訳には印と真言はなく、不空三蔵の訳の仁王経には印と真言がある。

これらのインドの経経には無量の事相はあっても、月氏と漢土は国を隔てて遠く、すべてをもって来るのは難しいので、経を省略したものであろう。

 

法華経には印・真言なけれども二乗作仏・劫国名号・久遠実成と申すきぼの事あり、大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし、二乗作仏と印・真言とを比較すれば、天と地ほどの勝劣がある。四十余年の経経には二乗は敗種の人で一字二字だけでなく無量無辺の経経に嫌はれている。法華経はこれを破って二乗作仏を説いている。いづれの経経にか印・真言を嫌うことばあるだろうか。その言葉がなければ又大日経にも其の名を嫌はず但印・真言を説いているにすぎない。印と申すは手の働きである。手が仏にならなくては手で結ぶ印が仏になるだろうか。真言というのは口の働きである。口が仏にならなければ口で唱える真言が仏になるだろうか。二乗の三業は法華経にあわなければ無量劫の間、真言密教の本尊である千二百余尊の印と真言とを行じたとしても仏になることはないのである。

勝れている二乗作仏の事法をとかないと言って、劣っている印・真言を説いている事法を勝れているというのは、理によれば法の盗人である。事によれば劣謂勝見の外道である。この失によって閻魔法王の責めを受けた人なのである。後になって悔やんで、天台大師を仰いで法華経に帰依し、悪道をまぬかれたのである。久遠実成などは大日経には思いもよらない教えである。久遠実成は一切の仏の本地である。たとえば大海は久遠実成であり、魚や鳥は千二百余尊である。久遠実成がなければ千二百余尊は浮草の根がないようなものであり、夜の露の、太陽が出ていないときのようなものである。天台宗の人人この事を知らないで、真言師にたぼらかされたのである。真言師は又自宗の誤りをしらない。いたずらに悪道の邪念を積んでいる。

 

空海和尚はこの理を弁えないうえに、華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、法華経はなお華厳経に劣れると僻見を立てた。亀毛(きもう)の長短や兎の角(つの)の有無を論じるようなものであり、亀の甲には毛はないのに、なんで長短をあらそい、兎の頭には角はないのに、なんの有無を論ずるというのだ。

法華経大日経のは理同じと言った人でさえも、いまだ閻魔のせめを脱れなかった。大日経に劣る華厳経に、法華経はなお劣るという人が、謗法を脱れることができるだろうか。人は変わってもその謗法の義は同じであろう。弘法の第一の弟子柿本紀僧正の真済(しんぜい)が紺青鬼(こんじょうき)となったわけも、これをもって知るべきである。空海が悔い改めなければ悪道に堕ちていることは疑うべくもない。その流をうけたる人々もまた同様であろう。


 問うて言うには、なぜ法師(日蓮大聖人)一人だけがこの悪言をはいているのか。

答えていうには、日蓮はこの善無畏や弘法等の人々を非難するのではない。ただ疑問のところをあげているだけである。それを怒られるなら、そうされるがよい。

 

(インドの)外道の法門は一千年、八百年の間、インド全体に広まり、上は転輪聖王から下は万民まで帰依していたけれども、九十五種の外道はすべて釈尊に破られてしまった。中国では摂論師の邪義が百余年の間流布したが、玄奘が出るに及んで破られた。南三北七の邪見も三百余年栄えたが天台大師の出現によって破られた。日本においては仏教伝来から二百六十余年栄えた南都六宗の義も伝教大師によって破られた。その上この事は伝教大師の或書(あるふみ)の中でやぶられていることをいっているのである。

日本国には大乗に五宗ある。法相・三論・華厳・真言・天台である。小乗に三宗ある。倶舎・成実・律宗である。真言・華厳・三論・法相は大乗より出たといっても、詳しく論ずれば皆小乗である。宗というのは、戒・定・慧の三学を備えているものである。その中に定・慧はさておいて、戒をもって大乗・小乗の境を明らかにするものである。

東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇(堂)がないので、東大寺戒壇によって小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持っている(受けている)。したがって戒をもって論ずるならばこれらの宗は小乗の宗になるであろう。比叡山には天台宗真言宗の二宗を伝教大師が習い伝えられたけれども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇を立つべきよし言われていたので、天台宗に対しては真言宗の名はあるってはならないと思われて、天台法華宗の止観業、真言業と書かれて公家(朝廷)へ上奏されたのである。伝教より慈覚がたまわった誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正しくのせられて真言宗の名を削られている。

天台法華宗は仏立宗といって、釈尊の時から立てられたものである。真言宗真言は凡夫の立てた宗で、論師・人師が始めて宗の名をつけたのである。それなのに事を大日如来弥勒菩薩等によせているのである。仏(釈尊)が御存知の御意(みこころ)にかなうのは、ただ法華経一宗だけなのである。小乗には二宗・十八宗・二十宗とあるけれども、ただその究極の理は無常の一理である。法相宗の究極の理は唯心有境である。大乗宗に無量の宗があっても、所詮は唯心有境であるならば、ただ法相宗一宗となる。・三論宗は唯心無境である。(大乗宗に)無量の宗があっても、所詮が唯心無境であるならばただ三論宗一宗となる。これは大乗の空有の一分であろうか。

華厳宗真言宗は与えていえば但中(たんちゅう=別教の中諦のこと)であり、奪って言えば大乗の空有なのである。経文の説かれた内容はなお大日経華厳経般若経にも及ばない。ただ立派と思われている人々が多く信じているのは、下女を王が愛しているのに似ている。大日経等は下女のようなものである。理は但中の理にすぎない。論師・人師は王のようなものである。人々が愛するので威望があるのである。

以上の問答等は当時(現在)は世も末になって人の智慧が浅く慢心が高いゆえに用いられることはなくても、聖人・賢人なども出現した時には事の子細もあきらかになるであろう。あなたを不便に思うので目安として書き注(しる)したのである。時間のある時に学んでいきなさい。
 これは大事な法門である。虚空蔵菩薩に参って常に読まれるがよい。
 聖密房に之を書き送る 日 蓮 花押