御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

富木入道殿御返事 全集955頁 新版1282頁 50歳御作 

本抄は佐渡に着かれた大聖人が、佐渡で最初に出されたお手紙です。別名を「願望仏国事」といいます。 

短いお手紙ですが、佐渡の厳しい状況がさりげなく示され、淡々たる表現の故にかえって艱難(かんなん)のさまが思いやられます。

 

通解つきの御書

富木入道殿御返事

 富木入道殿御返事 文永八年十一月 五十歳御作
 於佐渡塚原
 此比(このごろ)は十一月の下旬なれば、相州鎌倉に候し時の思には、四節(四季)の転変は万国(どこの国でも)皆同じであろうと思っていたが、この北国、佐渡の国に来てから後二か月の間は、寒風がしきりに吹いて、霜や雪が更に降らない時はあれども、日の光をば見ることなし、八寒(地獄)を現身に感じている。その上、佐渡の人の心は禽獣(きんじゅう)のようで、主師親を知らず、何に況(いわん)や(=ましてや)仏法の邪正・師の善悪は思いもよらないことである。此等はしばらく之を置く。
 去(さる)十月十日に付られた入道を寺泊より還した時に書き送った法門で推量されたであろうが、すでに大法興隆は眼前なのである。仏滅後二千二百余年に月氏(インド)・漢土(中国)・日本・一閻浮提の内に「天親・竜樹は内鑑泠然にして、外には時の宜しきに敵う」云云、天台・伝教はこの大法を粗(ほぼ)釈されたが(弘められなかった)、之を弘め残せる(弘通されずに残された)一大事の秘法を、此国に初めて之を弘む。日蓮豈(あに)其の人に非(あら)ずや。(日蓮こそその人ではないだろうか)


 前相已に顕れぬ。去正嘉の大地震は前代未聞の大瑞であった。神の世十二代・人王九十代と、仏滅後二千二百余年の間に未曾有の大瑞なり。神力品に云く「仏滅度の後に於て能く是の経を持つが故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云、「如来一切の所有之法」云云、但此の大法弘まったならば、爾前経や迹門の経教は一分も益なかるべし、伝教大師云く「日出て星隠る」云云(といい)、遵式の記に云く「末法の初め西を照らす」等云云(と述べられている)、法(大白法)はすでに顕れたのである。前相(その仏法出現の瑞相)は先代に超過している。日蓮粗(ほぼ)之を考えるのに是(これ)時の然らしむる故なり(大法が弘まる時がきたためである。)経(従地湧出品第15)に云く「四導師有り一を上行と名く」云云又云く「悪世末法の時、能く是の経を持つ者」とあり、「もし須弥山をとって他の世界に投げおくことより、この法華経を持つことは難しい」と説かれている。

 又貴辺(あなた)に申付(もうしつけ)し(=たのんであった)一切経の要文、智論(大智度論)の要文の五帖を一処(一か所)に取り集めてもらいたい。それ以外の論釈の要文も散在あるべからず候(散失しないようにお願いしたい)。又小僧達の学問談義をあるべしと(怠らないようにと伝えてください。)流罪の事は決して歎いてはならない。勧持品や不軽品にある通り、命限り有り、惜む可からず。遂に願う可きは仏国也云云。
 文永八年十一月二十三日 日 蓮花押
 富木入道殿御返事
 小僧達少少還えし候、此国の体為、在所の有様御問い有る可く候、筆端に載せ難く候。(年若き僧たちを何人か返しました。この佐渡の国の様子、居るところの(塚原三昩堂の)ありさまを尋ねられたい。筆には尽くすことはできないのです。