本抄は文永11年5月17日、鎌倉を去って身延に入山されたその日に富木常忍にあてて出された短信です。その中に入山された身延の過酷な環境がうかがえ、またそれをありのまま記される中に、富木常忍への信頼のほどが拝せられます。
御書と通解
けかち申すばかりなし米一合もうらず、がししぬべし、
飢えは言いようがないほどである。米は一合も売ってくれない。餓死してしまうことであろう。
此の御房たちも・みなかへして但一人候べし、このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。
この御房達もみな返して、ただ一人いることにしよう。この事情を御房達にも語らせて、お聞きいただきたい。
十二日さかわ十三日たけのした十四日くるまがへし十五日ををみや十六日なんぶ、十七日このところ・いまださだまらずといえども、たいしはこの山中・心中に叶いて候へば・しばらくは候はんずらむ、
十二日に酒匂、十三日に竹之下、十五日に大宮、十六日に南部、十七日にここに着いた。まだ定まらないけれども、おおむねはこの身延の山中は心にかなっているので、しばらくは居ることであろう。
結句は一人になりて日本国に流浪すべきみにて候、又たちとどまるみならば・けさんに入り候べし、恐恐謹言。
結局は一人になって日本国を流浪するであろう身である。また、もしとどまる身ならば、お目にかかりたいものである。恐恐謹言。
十七日 日 蓮在御判
ときどの