御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

千日尼御前御返事 1315頁 57歳御作

別名「雷門鼓(らいもんつづみ)御書」 弘安元年十月というと、その頃の御書をみると、大聖人のご病気がかなり重かった時節である。その時に千日尼が夫の阿仏房を使いとして見舞いがてら種々のご供養をさしあげたので、その時のご返事である。

 

千日尼御前御返事 弘安元年十月十九日 五十七歳御作
 与阿仏房尼

 青鳧(ぜに=銭)一貫文・干飯(ほしいい)一斗(いっと)・種種の物給い候い了んぬ、仏に土の餅を供養した徳勝童子は阿育大王と生れた。仏に漿(こんず=おもゆ)を・さしあげた老女は辟支仏(ひゃくしぶつ)と生れたのである。法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆ことごとく法華経の妙の一字より出生されたのである。故に法華経の結経である普賢経に云く「仏三種の身は方等より生ず」等云云、方等とは月氏の語・漢土には大乗と訳している。大乗と申すは法華経の名である。阿含経は外道の経に対すれば大乗経、華厳・般若・大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経である。法華経に勝れたる経なき故に唯一の大乗経である。例えば南閻浮提・八万四千の国国の王王は其の国国にては大王と云う・転輪聖王に対すれば小王という。乃至六欲・四禅の王王は所対によって、大王ともなり、小王ともなる。色界の頂上の大梵天王独り大王であって小の文字をつけることがないようなものである。

仏は子なり法華経は父母なり、譬えば一人の父母に千人の子がいて、一人の父母を讃歎すれば千人の子が悦ぶ。一人の父母を供養すれば千人の子を供養することになる。
 又法華経を供養する人は十方の仏菩薩を供養する功徳と同じである。十方の諸仏は妙の一字より生まれたからである。譬えば一匹の師子に百匹の子がいる。彼の百匹の子が諸の禽獣に犯されようとするとき、一匹の師子王が吼れば百匹の子は力を得て、諸の禽獣は皆頭が七分にわれる。法華経は師子王のようなものである。一切の獣の頂きなのである。法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るれることはない。譬えば女人の一生の間の御罪は諸の乾草の如し。法華経の妙の一字は小火の如し、小火を衆草につきぬれば、衆草焼け亡ぶるのみならず、大木大石皆焼け失せてしまう。妙の一字の智火もこのようなものである。諸罪が消えるだけではなく、衆罪かえって功徳となる、毒薬変じて甘露となるというのはこれである。譬えば黒漆に白物を入れぬれば白色となる。女人の御罪は漆の如し、南無妙法蓮華経の文字は白物の如し。人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事、千引の石の如し。善人はたとえ七尺八尺の女人であっても、色黒き者であっても、臨終の際に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛のようである。やわらかなる事、兜羅緜(とろめん)のようである。
 佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及ぶのに、女人の御身として法華経を信仰していらっしゃるゆえに、年年に夫を御使としておたずねくださっている。定めて法華経・釈迦・多宝十方の諸仏・其の御心をよく御存知であろう。譬えば天月は四万由旬も離れているけれども、大地の池には須臾に影浮び、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては即座に聞こえる。御身は佐渡の国にいらっしゃるけれども心は此の国に来られている。仏に成る道もこのようなものである。我等は穢土に住しているが、心は霊山に住んでいるのである。お面を見たからといって何になろう。心こそ大切である。いつかいつか釈迦仏のいらっしゃる霊山浄土に参りお会いしよう。、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。
 弘安元年後十月十九日 日 蓮 花押
 千日尼御前御返事

 

 講義から:

佐渡から訪れることさえ容易ではないのに、度々しかもご供養を携えて身延へ赴くのは大変なことであったに違いない。その真心を遠く佐渡の地で大聖人の身を案じているであろう千日尼に対して褒め称えられています。ご供養の功徳を教えるのに、ここでは土の餅を供養した徳勝童子と臭い米のとぎ汁を差し出した老女の例を挙げておられる。もちろん千日尼の供養が粗末なものであったということではない。物資が欠乏しているであろう佐渡の地から、これだけの供養をすることは容易ではなかったはずである。

最後のところに、会ったからとて何になろう。心こそ大切である。信心の真心が大切だと言われている。会わなくても心が通じ合っているのだという温かい心が込められている。