御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

南条兵衛七郎殿御書(慰労書) 1493頁 43歳御作 #35

文永元年12月に書かれた御書です。ご真筆も存在しています。同年11月11日の小松原の法難から1か月後にあたります。重病になった南条兵衛七郎を励ますために著されたので「慰労書」と言われています。また、小松原の法難のことものべているため「小松原法難抄」とも呼ばれています。

 

本抄の概要は、まず南条兵衛七郎の重病に対して心のこもった激励をされたあと、教・機・時・国・教法流布の先後という五鋼の教判を説いて、末法では法華経を信じてこそ成仏できると強調されています。大聖人から地獄に堕ちると言われた念仏者たちは、法門ではかなわないので多数を頼んで大聖人を殺そうとしました。その小松原の法難のようすを通して、法華経の経文通りに難を受けたことから「されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と言われています。

最後に南条殿が死の旅に立つことがあったなら、梵天・帝釈や閻魔大王等に日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子と名乗るならば、必ず親切に迎えてくれるであろう、と励まされています。

大聖人から教化を受けてそれまでの念仏を捨て、法華経に帰依したけれど、全面的には捨てきれなかったので、法華経の信仰とのはざまで迷っていた様子が本抄の御文からも推察されます。

南条兵衛七郎の病気は本抄にあるように、大聖人の激励によって一時は回復したようですが、翌文永2年には病気のため亡くなったようです。

健康な人より、病気のある人が読むとより励みになると思われます。

 

南条兵衛七郎殿御書 文永元年十二月 四十三歳御作
 
 御病気であるとお聞きしたが、本当でしょうか。世間の定なき事(無常である事)は、病気でない人も(この世に)留りがたき事であるので、まして病ある人は言うには及ばない。ただし、心あらん人は後世のことを思いさだめておくべきです。又後世を思い定めん事は自分の力では叶いがたいものです。一切衆生の本師であられる釈尊の教えこそ根本となることができるのです。
 それなのに、仏の教えはまた、まちまちなのです。人の心が定まらないからであろうか。
 しかしながら釈尊の説教といっても五十年は過ぎない。さき四十余年の間の法門に華厳経には「心、仏及び衆生、是の三つは差別がない」と説かれ、阿含経には「苦・空・無常・無我」を説き、大集経には「染浄融通」と説き、大品般若経には「混同無二」と説き、無量寿経観無量寿経阿弥陀経等には「往生極楽」と説いている。此等の説教は皆正法・像法・末法の一切衆生を救うために説かれたのであろう。しかれども仏は何と思われたか。無量義経に「方便の力を以て四十余年には未だ真実を顕さず」と説かれて、先の四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のように悔い返されて、「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」と言い切られて、

法華経の方便品に重ねて「正直に方便を捨て但無上の道を説く」と説かれたのである。方便を捨てよと説かれてあるのは四十余年の念仏等を捨てよと説かれたのである。

このように確かに悔い返して真実義を定むるには「世尊の法は久くして後要当に真実を説くであろう」といひ「久しく(長い間)この要法を黙していそいで速かに説かなかった」等と定められたので、多宝仏は大地より湧きいでて、この事は真実であると証明を加え、十方の諸仏は八方に集まって広長舌相を大梵天宮に付けられた。法華経の二処・三会・二界・八番の衆生は一人も(もれ)なくこれを見たのである。

これらの文を見ると仏教を信じない悪人・外道はさておいて、仏教を信じながらも、爾前・権教・念仏等を厚く信じて十遍・百遍・千遍・一万・乃至・六万等の念仏を一日に励んで(唱え)、十年・二十年の間に南無妙法蓮華経と一遍も唱えない人人は、(親の譲り状の)先判に付いて後判を用いない者ではないか。これらは仏説を信じているように自分も思い、人も思っても仏説の通りならば不孝の者である。

 故に法華経の第二に云く「今この三界は皆是れ我が所有である。その中の衆生は悉くこれわが子である。しかも今この処は諸の患難多い。唯我一人のみ能く救護をなせる。また教詔しても信受しないのである」等云云、この文の心は釈迦如来は我等衆生には親であり、師であり、主である、ということである。

我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主ではあるけれども、親と師ではない。ひとり三徳を兼ねて恩ふかき仏は、釈迦一仏に限るのである。親も親にこそよれ釈尊ほどの親・師も師にこそよれ・主も主にこそよれ・釈尊ほどの師主はおられないのである。この親と師と主との仰せに背くものは、天神・地祇に捨てられないことがあろうか。不孝第一の者である。ゆえに「雖復教詔而不信受(種々に教詔しても信受しないのである)」等と説かれたのである。たとえ爾前の経について百千万億劫修行したとしても、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と唱えなかったら不孝の人である。故に三世・十方の聖衆にもすてられ天神・地祇にもあだまれるであろう。これ一である。


 たとひ五逆・十悪・無量の悪をつくっている人であっても、機根さえ利であれば得道する事がある。提婆達多・鴦崛摩羅等がこれである。たとひ機根が鈍であっても罪がなければ得道なる事がある。須利槃特等が是である。我等衆生は機根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ物のいろかたちをわきまへざる事は羊目のようである。貪瞋癡きわめてあつく十悪は日日に犯し、五逆をば犯さないけれども五逆に似たる罪はまた日日に犯している。

また十悪・五逆にすぎたる謗法は人ごとにある。これというほどの言葉をもって法華経を謗ずる人は少ないけれども、人ごとに法華経を用いてはいないし、また、もちいたるようであっても念仏等のやうには信心は深くない。信心が深いものも法華経のかたきを責めてはいない。いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人であっても、法華経の敵をだにも・責めなければ得道はありがたい。たとへば朝につかふる人の十年・二十年の奉公あれども・君の敵をしりながら奏上もしないで個人としても仇まなければ永年の奉公は皆消えて、かえって罪に問われるようなものである。当世の人人は謗法の者と知っておくべきである。これ二。

 仏入滅の次の日より千年を正法と言って持戒の人が多く、得道の人もあった。正法千年の後は像法千年である。破戒の者は多く、得道する人は少ない。像法千年の後は末法万年である。持戒もなし、破戒もなし、無戒の者のみ国に充満している。しかも濁世と言って乱れた世である。清世(しょうせ)といって澄める世には直繩がまがっている木を削り取らせるように、非を捨てこれを用いるのである。正・像より五濁ようよういできたりて末法になってくれば五濁さかんにすぎて、大風の大波を起して岸を打つのみならず又波と波とをうつなり、見濁と申すは正・像ようよう過ぎれば、わづかの邪法の一つを伝えて無量の正法をやぶり・世間の罪にて悪道におつるものよりも仏法をもって悪道に堕つるもの多いと見える。
 しかるに当世は正・像二千年すぎて末法に入って二百余年、見濁が盛んであって、悪よりも善根によって多く悪道に堕ちるような時代である。悪いことは愚かな人も悪と知れば従わないこともある。火を水をもってけ消すようなものである。

善いことはただ善いことと思うものであるから、小善に付いて大悪の起こる事を知らない。ゆえに伝教・慈覚等の聖跡があって、すたれ荒れていても、念仏堂ではないといって、捨ておきて、その傍(かたわ)らに新しく念仏堂をつくり、彼の寄進の田畠をとりて念仏堂に寄進する。これらは像法決疑経の文によれば功徳は少ないと見える。これらをもってしるべし、善なれども大善をやぶる小善は悪道に堕ちることを知るべきである。

今の世は末法のはじめである。小乗経の機根の者、権大乗経の機根の者、皆消えて、唯実大乗経の機根の者のみある。小船には大石を載せることはできない。悪人・愚者は大石のごとし、小乗経並に権大乗経・念仏等は小船なり、大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず、末代濁世の我等には念仏等はたとへば冬・田を作るが如し時があはざるなり是三。

 国を知るべきである。国に随って人の心も違ってくる。たとへば江南の橘(たちばな)は淮北に移されて枳(からたち)となる。心なき草木すらところによる。まして心あらんもの何ぞ所によって異ならないことがあろう。

されば玄奘三蔵の西域と申す文に、大唐西域記にインドの国ぐにを多く記しているが、国の習(慣習)として不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり・瞋恚のさかんなる国もあり・愚癡の多き国もあり、一向に小乗を用る国もあり・一向大乗を用る国もあり・大小兼学する国もあるようである。又一向(もっぱら)に殺生の国・一向に偸盗の国、又穀の多き国、又粟等の多き国などさまざまである。そもそも日本国はいかなる教を習って生死を離るべき国であるかと勘えてみるに、法華経に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云、此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり、弥勒菩薩の云く「東方に小国有りただ大乗経の機根の者だけがいる」等云云、此の論の文によると閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機根のものがいるということである。肇公の記に云く「玆の典は東北の小国に有縁なり(縁がある)」等云云、法華経は東北の国に縁ありとかかれたり、安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云、釈迦如来弥勒菩薩・須梨耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心の先徳等の心ならば日本国は純に法華経の機なり、一句・一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし。有縁の法なるが故なり。たとへばくろがねを磁石のすうが如し・方諸の水をまねくににたり(※月から水を取るという鏡の事)、念仏等の余善は無縁の国なり・磁石が金属を吸いつけず、方諸の水をまねかざるが如し、故に安然の釈に云く「もし実乗でなければ恐らくは自他を欺くであろう」等云云、此の釈の心は日本国の人に法華経でない法を授けるものは我が身をもあざむき人をもあざむく者と見える。されば法は必ず国をかんがみて弘めるべきである。彼の国によい法であるなれば、きっとこの国にもいいだろうとは思ってはならない。是四。
 又仏法流布の国においても前後を勘えなければならない。仏法を弘むる習いとして、必ずさきに弘める法の様を知るべきである。例せば病人に薬をあたふるに、さきに服したる薬の様を知るべきだから、薬と薬とがゆき合いてあらそひをなし人をそんずる事があり、仏法と仏法とがゆき合いて争いを起こして人を損ずる事があるのだ。さきに外道の法が弘まれる国ならば仏法をもって、これをやぶるべし、仏の印度にいでて外道を破り、まとうか・ぢくほうらんの震旦に来って道士をせめ、上宮太子・和国に生れて守屋を切ったようなものである。仏教においても小乗の弘まれる国をば大乗経をもって破るべきである。

無著菩薩が世親の小乗を破ったようなものである。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもつて・これを破らなければならない。天台智者大師の南三・北七を破ったようなものである。而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばひの四衆・皆法華経の機根と定った。

 

善人・悪人・有智・無智・皆五十展転の功徳を備えている。たとへば崑崙山に石がなく、蓬萊山に毒がないようなものである。しかるにこの五十余年、法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして珠に似たる石をもつて珠を投させ石をとらせたるのだ。止観の五に云く「瓦礫を貴んで明珠なりと申す」は是なり、一切衆生石をにぎりて珠と思う。念仏を申して法華経を捨てたのがこれである。此の事をば言え、かえってはらをたち法華経の行者をのりて・ことに無間の業をますなり。是五。


 ただ貴殿はこの義を聞かれて念仏を捨て、法華経の行者にならせ給いてはべりしが、きっとかえって念仏者になられておられるだろう。法華経をすてて念仏者となられたならば、峯の石が谷へころび、空の雨が地に落ちるようなものであると思いなさい。大阿鼻地獄は疑いない。大通結縁の者(で退転したもの)の三千塵点劫を、また、久遠下種の者(で退転したもの)の五百塵点(という長い間地獄の苦しみを)経し事、大悪知識にあって法華経をすてて念仏等の権教に移ったからである。あなたの一家の人々は念仏者であったようであるから、さだめて念仏をすすめていることであろう。自分が信じた事なればそれも道理ではあるけれども、悪魔の法然の一類にたぼらかされている人人であると思って、大信心をおこしてそれらを用いてはならない。大悪魔は貴き僧となり、父母・兄弟等について人の後世をば妨げるのである。どんなに言って来ても法華経を捨てよとあざむこうとするのを用いてはならない。まずはご推察されるがよい。

念仏で実に往生するという証文がつよくば(確かであるなら)この十二年の間、念仏者は無間地獄に堕ちると言ったのを、どのようなところへ申し出しても難詰しないでおられようか。よくよくよわき事なり(自信がないのであろう)。法然・善導等が書き置いた法門は、日蓮らは十七、八の時から知っていた。このごろの人の言っているのも、これにすぎることはない。結句は法門はかなわないから、多勢をたのんで力で戦おうとするのである。念仏者は数千万であり味方は多い。日蓮は唯一人、味方は一人もこれなし。今までも生きているのがふしぎなことである。今年も十一月十一日、安房の国・東条の松原と申す大路にして、申酉(午後五時)の時・数百人の念仏等に待ち伏せされて、日蓮は唯一人、十人ばかりの共も役に立つものはわずかに三、四人である。射る矢はふるあめのようで、打つ太刀は雷のようであった。弟子一人は当座(即座)にうちとられ・二人は深手を負った。自身もきられ打たれもう終わりかと思いきや、いかが候いけん(どうしたことであろうか)うちもらされて、いままで生きているのである。いよいよ法華経の信心を増すばかりである、第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらい、ぬすみ等をして罰せられる人は多けれども・法華経の故に傷つけられる人は一人もいない。だから日本国の持経者は、いまだこの経文にはあわせ給はず(符号していない)。ただ日蓮一人だけが法華経を身で読んだのである。我不愛身命但惜無上道是なり。されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。
 もし日蓮より先に(死出の旅路に)立たれたならば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申しあげなさい。日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子であると名乗りなさい。よもや粗略な(そりゃくな=ぞんざいな)扱いはされないであろう。ただし一度は念仏、一度は法華経を唱えるというように、二心があって、人の風聞を恐れるようなことがもしもあるならば、日蓮の弟子と名乗られても用いられることはないであろう。後になって恨んではならない。ただし法華経は今生の祈りともなるものであるから、ひょっとして生きのびられることがあれば、一刻も早くお会いして、日蓮からお話ししたい。言葉は文に尽くせない。文は心を尽くしがたいので、これでとどめます。恐恐謹言。
 文永元年十二月十三日 日 蓮 花押
 なんでうの七郎殿

 

※ 月夜のような晴れた夜には鏡を戸外に置くと冷えた鏡の表面に霜が付くことから、鏡が水を月から得たと考えたもの。一説には大蛤(おおはまぐり)の事ともいわれる。